身近にある絆
(第十二話)



ちゅん、ちゅん、とすずめのさえずりが聞こえてくる。
もう少し、寝ていたくて、ん〜、と寝返りを打つ。
すると、手に何かやわらかいものが当たった。
「?」
不思議に思い、ゆっくりと目を開けると、そこには、少し頬を赤くした美咲の顔が近くにあった。
俺の右手が美咲の腕に当たっている。
目が合うと、美咲は恥ずかしそうに微笑んだ。
「・・・」
カーテンが風になびくたび、できた隙間から、朝の光が注ぎ込んできている。
その度に、美咲の肌の白さが目に付く。
美咲も俺も、何も着ていない。
胸元までタオルケットが軽くかかっているだけ。
・・・
そうだ、ついに、美咲と・・・・・・
最初に誘ったのはどちらだっただろうか。
なにか、自然にそういう事になってしまったような気もするが、全く後悔はしていない。
だって、俺は美咲のことが本当に好きだと分かったから。
破瓜の痛みをこらえ、涙を浮かべながらも、微笑みかけてくれた美咲。
すまないことをしてしまった、と思う。
「・・・」
何も言わず、手を動かして、美咲の頬をそっとなでる。
柔らかくて、温かい。
「おはよう。・・・英君」
恥ずかしそうな顔をして、微笑んだ美咲は、俺がおはよう、と返すと、
頭の上まですっぽりと布団の中にもぐりこんでしまった。
・・・可愛い・・・
そう、思わざる終えないしぐさに、胸が痛くなるほど、胸が締め付けられる。
もう、この感情はどこにあてればいいのだろうか。
愛しくて、愛しくて、感情が変になりそうになる。
「美咲」
布団の中にもぐりこんでいる美咲に向かって名前を呼ぶ。
すると、美咲は恐る恐る、顔を半分、布団からのぞかせた。
「あっ・・・・・・」
美咲と、自分の彼女と、恋人と、キスを交わす。
「んっ・・・」
何分たったか分からないけれど、どちらともなく、顔を離した。
短かったかもしれないし、長かったかもしれない。
美咲の顔を見つめると、上気した頬とともに、すこし目が潤んでいるように見えた。
そっと、そっと、壊れ物を扱うかのように、抱き寄せる。
すると、美咲も背中に腕を回してきた。
美咲の温かい体温が、直接、何も遮るもの無く伝わってくる。
なんか、すごく、幸せな気分になる。
心が温かくなって、美咲以外何もいらないような、そんな気にさえさせる。
「・・・」
「私、こうやって、英君と一緒に朝を迎えるのが夢だった」
美咲は、ゆっくりとした口調で静かに言いはじめた。
「出来るなら、ずうっと、ずうっと、こうしていたい・・・」
「・・・」
ぎゅっ、と背中に回されている美咲の腕に力が入る。
「私、・・・本当に、本当に、・・・・・・幸せだよ」
美咲のその言葉に、思わず胸が熱くなり、涙が溢れてしまいそうになる。
もっと、美咲を確かめたくて、抱き寄せたくて、離したくなくて、消えてしまわないように、美咲の背中に回した腕に力をこめる。
「美咲・・・今までごめん」
「ううん、いいの。・・・英君が私を選んでくれたから・・・それだけで・・・」
その言葉を聴いたとき、不意にも、こらえていた涙が、情けなく溢れ出した。
・・・・・・
・・・


「いま、朝ごはん作るからちょっと待っててね」
美咲は、そう言ってキッチンに入っていった。
それから、何気なく、ソファーに座って、美咲の様子を見ているけれど、
いつもと同じような光景なのに、なにかが違うように映る。
ただ、違いを探そうにも、美咲の微笑みも、リビングやキッチンの光景もいつもと全く変わらない。
「・・・」
「〜♪〜〜♪」
美咲がどこかで聞いたような歌を口ずさんでいる。
「〜〜♪〜」
あまりに微笑ましくて、笑みがこぼれてきた。
・・・
なんとなく、美咲との間にあたらしい絆ができたような気がする。
今までより、より強く、解けにくく。
できるなら、今すぐ、美咲を抱き寄せ、口付けを交わしたい。
いままで二人の間にあった“枷”が無くなったのだ。
なんか、心が晴れ晴れする。
窓際から空を見上げると、雲ひとつ無く、澄み切った空が広がっていた。
「・・・」
窓際から、再び美咲の様子を眺める。
いつもよく見るエプロンに身を包んで、てきぱきと手を動かしている。
顔にはいつもの笑みが浮かんでいて、見ているこっちも頬が弛んでしまう。
俺も、料理が出来れば美咲に何かつくってやるんだけどなぁ。
・・・流石にそれは無理か。
などと、考えつつ、何か手伝えることはないかと、キッチンに足を向ける。
「なにか、手伝うもの無い?」
美咲の斜め後ろから話しかけると、美咲は包丁を動かすのを止め、こちらを振り返った。
「う〜ん・・・今は、手伝ってもらうのは無いかなぁ、ごめんね」
美咲は目を伏せると、すまなそうに微笑んだ。
「そ、そうか」
う〜・・・美咲って、こんなに可愛かったっけか。
というか、いつの間にこんなに可愛くなったんだ?
全然気がつかなかった。
「もう少しでできるから待っててね」
美咲はそう言うと、俺に背中を向けて、再び朝食を作りはじめた。
無防備で、可愛らしい背中が目の前にある。
美咲は今、髪を背中で一つに留めていて、それが、美咲が動くたび、ふよふよと可愛らしく揺れ動く。
「・・・」
「〜♪〜〜♪」
ふよふよふよ。
正直、拷問だと思う。
「・・・」
ふよふよふよ。
ダメだ、ダメだ、ダメだ・・・
自己催眠をかけるように、自分に言い聞かす。
美咲を戴くにはまだ早い・・・って、朝っぱらから何考えてんだ〜!


朝食を食べながら、相変わらず、美咲の手料理は美味いな、と思った。
美咲製の朝食を食べ終わって、リビングでゆっくりと休憩することにした。
いつもなら、ソファーの反対側にいる美咲だけれど、今日は隣にいる。
「・・・」
窓の外から、夏の風が吹き込んでくる。
何気に、美咲の手を、手にとってみる。
小さくも無ければ、あまり大きくない。
「?どうしたの?」
首をかしげる美咲。
なんか・・・小鳥みたいだ。
そんなことを考えながら、美咲の手を両手で包み込んでみる。
そういえば、こうやって、美咲の手をじっくり触るのははじめてか。
繊細で、触っているだけで、器用なのが分かった。
「手、あったかいね」
美咲は微笑みながら、言うと、もう片方の手を、俺の手の上に乗っけた。
「美咲の手が、冷たすぎるだけなんだよ」
ぶっきらぼうにそう言うと、美咲はくすくすと笑った。
ところで、真夏に温かいも冷たいも無いと思うけど・・・あるのか?
温かいというか、暑いというくらいのはず。
「でも、手が温かい人って、心が冷たいって言うけど、そうじゃないよね」
こいつは急に何を言い出す。
「俺のこと言ってるのか?」
「うん。英君のこと」
よくそんな、恥ずかしい台詞が言えるな。
ある意味、感心してしまう。
「分からんぞ。俺は案外悪者かもしれん」
そう言うと、美咲は何が可笑しいのか、くすくす、と笑った。
「悪い人がそんな事言う?」
・・・言うんじゃないのか?
自覚が無い悪者とか。
「そういえば、昨日は帰らなくてよかったのか?」
このままいくと、墓穴を掘りそうな予感がしたので、話を反転させた。
「え?あ・・・うん、お母さんも、お父さんも出張だって・・・って、昨日も同じ事聞かなかった?」
「そうだっけか」
頭をひねって考えてみるが、どうも記憶があやふやだ。
まあ、昨日は俺もまあ、それなりに、・・・だったし、仕方が無いといえば仕方が無い。
「明日の夕方帰ってくるんだって」
「ほう。じゃあ、今日もいないのか」
「うん・・・だから、今晩も一緒にいて・・・いい?」
え?
はっ、として隣にいる美咲を見た。
視線が合うと、美咲は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「・・・」
「・・・」
「まあ、俺もね、なんと言うか・・・実を言うと、一緒にいたかった」
窓の外を見ながら、何気ないように、そんなことをいってみる。
面と向かって、そんなことを言う勇気は、残念ながらまだ備わっていない。
照れ隠しに、ぽりぽり、と頬を掻く。
恥ずかしいです、はい。
去年まで、世話焼きの友達ぐらいにしか思っていなかったやつに、こんなことをいう事になるとは。
「・・・」
「・・・」
「・・私、幸せだなぁ・・・こうやって、英君といっしょに居られるんだもん」
美咲はそう言うと、体を肩に預けてきた。
ものすごく、幸せな気分になれる。
満ち足りているようで、こんなに幸せでいいんだろうか、とある意味、不安になる。
「・・・」
「俺も、美咲といられて―」
嬉しいよ、と続けようとして、突如、ピピピピ、ピピピピ、と携帯電話が鳴きだした。
「・・・」
「・・・」
思わず、美咲と顔を見合わせてしまう。
誰だ?こんな重要なときに電話をよこす輩(やから)は。
ポケットから携帯電話を取り出して、発信者を確認することなく、電話に出る。
「あー、もしもし・・・」
『英?』
声を聞いたとき、一瞬、背筋が凍りそうになった。
失礼だとは思うけれど、すっかり忘れていた・・・
「れ、れ、玲菜か・・・どうした?」
し、舌が回らない。
『なんでもないんだけどね』
なんでもなかったら、電話なんてわざわざかけるか?
『もし空いてたら、・・・で、デートしたいなぁ、って」
「何?・・・で、でーと?」
素っ頓狂な声を上げてしまい、
危なく、するりと携帯電話を落としそうになった。
あわてて、握りなおす。
『どうかな?』
ふと、上目づかいでこちらを見る玲菜が目に浮かんだ。
「え・・・」
返答に迷ってしまう。
・・・美咲がいるんだから・・・そう軽々しく行くわけには行かないし・・・
頭の中で、いろいろと思考をめぐらせてみるけれど、答えは出そうも無かった。
美咲の顔をちらりと見ると、
美咲は、行ってあげて、と口だけ動かした。
『ダメだったらいいんだけど・・・』
玲菜の声が少し、不安げに聞こえてくる。
「・・・ああ、いいよ」
ちょうど暇だったし、となんとなく付け加えた。
『ほんと?じゃあ、11時に駅前でいい?』
玲菜の声が嬉しそうに、ぱあっ、と明るくなった。
「いいよ。そっちの予定にあわせるから」
『ありがと。じゃあ、11時に・・・ね?』
それを最後に、通話は切れた。
玲菜の嬉しそうな声が耳に残っている。
なんか、悪いことをした、ような気になり、気が重くなる。
携帯電話をズボンのポケットにしまって、美咲の表情をさり気なくうかがう。
「行ってあげて」
美咲は少し、神妙そうな面持ちでそう言った。
多分、ちゃんと決着をつけてきて、という意味も含まれているのだろう。
「私、玲菜が英君のこと好きなのは、ずっと知ってた」
「え?」
「英君にだけ、辛く当たるのは変だと思ってたし、英君のことよく聞いて来たし・・・」
「・・・そう・・・なのか・・・」
「だから、行ってあげて」
美咲の目がいつになく真剣になった。
「ああ」
美咲の言葉を聞いて、はっきりさせよう、とそう思った。


約束の時間より20分も前に、待ち合わせ場所に来てしまった。
早く支度をしてしまったせいもあるだろうが、
待たせるのは失礼だと思ったから。
木の下に置いてある、木製のベンチに腰掛けて、玲菜が来るのを待つ。
しかし、それにしても・・・
「・・・暑い・・・」
街に出ると分かったけれど、アスファルトのためか、自宅付近よりかなり暑く感じる。
日陰に入っていなかったら、相当のエネルギー損失となるに違いない。
「・・・」
人ごみは、この気温のためか、土曜日としては、あまり激しくない。
だいたい、この炎天下だ。
むやみに動けばろくなことが無いはず。
「・・・」
じーじーじー、と頭のすぐ上で蝉が鳴き出した。
・・・威勢がいいねぇ。
とか、年寄みたいなことを考えてみたり。
「・・・」
じーじーじー・・・・・・じーじー
「あ、ごめん。待った?」
聞きなれた声がして、声がしたほうに視線を移すと、可愛らしい服に身をまとった玲菜がいた。
この前と同じような感じで、白のブラウスに、ロングスカート、というスタイルだ。
相変わらず、あまり見ない格好なので、どきり、としてしまう。
「いや、全然待ってない。ちょうど3秒くらい前に来たばっかり」
ベンチから立ち上がりながら、言う。
「ふふ、英ったら、また変な嘘ついて」
玲奈は、可笑しそうに笑みを浮かべた。
「まあ、これが本当だと見抜けないようだったら、まだまだ修行が足りないな」
などと、どっかの仙人の様に、変なことを言ってみる。
すると、玲菜は愉快そうに笑った。
「おかしな英」
「まあ、元からなんでね。変えようにも変えられない。・・・で、どこに行く?」
「え〜・・・どうしようか?」
玲菜は、考えるように首をかしげた。
おーい、自分から誘っておいて、ルート設定なしか?
でも、この場合、普通だったら、どっちが行き先を決めるんだ?
・・・
分からん。
経験がないから分からん。
「じゃあ、定番だけど、デパートにでも行くか?」
デパート行って、昼食をついでにとって、街に出て、映画観て、海浜公園に行って・・・
という、ありきたりなパターンぐらいしか、想像できない。
「うん、それでいいよ」
・・・いいのか?


「ねね、これいいと思わない?」
「あー・・・いいんじゃないの、クールな感じで」
玲菜と一緒にデパートでウィンドーショッピング。
なんか、妙な気もするけれど、玲菜は楽しんでいるみたいなので、よしとしよう。
ぐるぐるといろいろ見て回って、
今、玲菜と見ているのは、アクセサリーショップのショーウィンドウ。
デパートにあるだけあって、値段の安いものは少ない。
なんか、ネックレスやら、ブローチやら、指輪やら、名称不明なものまで、いろいろとある。
男性用のもあるので、男の俺がいても、違和感はない・・・と思う。
エプロンの似合う男に、アクセサリーは似合うのか、というのが問題だろうけど。
「\12,000円だって。ちょっと高い」
「ちょっと・・・というレベルなのか?それは」
「高いものは6桁ぐらい軽くするわよ」
さも当然、というように軽く言う玲菜。
指を折って、桁を数えてみる。
一、十、百、千、万、十万・・・
「6桁ぁ?」
十万か?十万?
新米サラリーマンの手取りが一発でなくなるじゃないか。
「ほら、これだって、26万」
玲菜は別のショーケースにある、指輪を指差した。
指差された方向を首を伸ばして見てみる。
「あー、ダイヤモンドね。いったい、炭素の固まりの何処がいいんだ?」
燃えるんだぞ、ダイヤモンドというのは。
所詮、鉛筆と同じ炭素の固まりだし。
「夢を壊すような事いわないでよね」
「俺は、どっちかと言ったら、青色のアクアマリンが好きだけどな」
なにか、青には神秘的なものを感じる。
それに惹かれてしまうのだろうか。
情熱の赤、というのも悪くはないけれど。
すると、玲菜は驚いたように目を開いた。
「え?ほんと?私もアクアマリン好きなんだ。奇遇だね、奇遇」
「結構、人気らしいからな」
なんでも、日本女性の好きな石の第五位中に入っているとか、入っていないとか。
「なら、これは、どう思う?」
玲菜が指を指したのは、半透明で青色の鉱石が埋め込まれ、六角形の形をした、ネックレス。
ショーケースの中で、鉱石が光を反射し、きらきらと輝いている。
先刻言っていた、アクアマリンを使ったものだろうか。
「いいんじゃないのか?玲菜に似合いそうだし」
別に深く考えるわけでもなく、そう言った。
美術的センスがないので、なんとも言えないけれど、玲菜がつけたらよく似合うだろう。
「・・・英がいいって言うんなら、買おうかな」


「・・・どう?似合うかな?」
玲菜は、俺が、いいんじゃないか、と言ったのを即行で買ってしまった。
そのネックレスが、玲菜の首元で青くに輝いている。
半透明に透き通っていて、青空や、海を連想させるその色は、
誇張することなく、萎縮することなく、存在を主張し、玲菜によくあって見える。
「ああ、似合ってるよ」
「選んでくれてありがと」
玲菜は嬉しそうに微笑んだ。
「いえいえ、どういたしまして」


玲菜と最上階のファミリーレストランで昼食。
なんか、ものすごく妙な気分である。
周りには、家族連れの親子達がいる中で、一組、明らかに若い男女がいる。
傍から見れば、仲のよさそうなカップルにしか見えないだろう。
それに、玲菜は学校でも5本の指に入る美人だ。
明らかに、人目を引きやすい。
それに比べて、俺は・・・
なんつーか、パッとしない。
「・・・あ、これおいしい」
「チョコパフェだろ。・・・太らんのか?」
玲菜は俺の向かい側に座る形で、明らかに500キロカロリーを超えていると思われる、
甘ったるそうなチョコレートパフェを食べている。
しかし、ずいぶんと美味そうに食べるものだ。
なんか、キャンペーンガールにでもなれそうだし。
「私、食べても太らないほうなんだ」
「ほう」
それは随分と、楽な体質だな。
世の中には、少し食べただけでも太る、というやつもいるというのに。
「まあ、でも、食いすぎには注意しとけ。ろくな事無いからな」
「うん」
玲菜はそう言うと、チョコパフェを口に運んだ。
「英は、アイスコーヒー好きなの?私は、苦くて飲めないけど」
俺が食後に頼んだのは、アイスコーヒーだった。
アイスコーヒーの入ったグラスは、冷たさで表面に汗をかいている。
それを、カラカラ、と氷が鳴るように、左右に振る。
「あー、癖、というか、なんとなく」
本当に、なんとなく、だ。
「そうなの?ちょっと飲ませて」
「ああ」
残りが後半分ぐらいあるアイスコーヒーを玲菜に手渡す。
すると、玲菜は俺と同じように、カラカラ、とコップを振った。
涼しそうに音が鳴る。
そして、何気なしに、俺が使っていたストローに口をつけた。
まるで、当たり前のように。
あ〜・・・
間接・・・キス・・・
一瞬、あっけに取られた。
「っ〜・・・苦〜い。なんでこんなに苦いの〜?」
玲菜は、間接キスなんぞお構いなしのようで、辛そうに顔をしかめた。
「よく飲めるわね〜」
「さっきまで甘いもの食べてたからだろ」
玲菜に差し出されたグラスを受け取る。
「あ、そっか」
納得したように肯く玲菜。
気がつけよ、という話である。
まあ、でもそんな話はこの際どうでもよい。
・・・さて、アイスコーヒーの残り、どうしようか。
このまま飲めば、双方向間接キスの完成だ。
「・・・やっぱり、こっちのほうが私はいいな」
そう言うと、玲菜はチョコパフェを口に運び、美味しそうに笑みを浮かべた。
「・・・」
あ〜、もう気にしてられるか。
俺は開き直った。


「おいしかった〜」
ファミリーレストランを出たところで、玲菜はこちらの顔を覗き込んで嬉しそうに笑みを浮かべた。
「金払ったのは俺だし」
というか、上目遣いという無言の圧力をかけられ、払わされた。
上目使い禁止〜!
まあ、それに屈服してしまう俺もかなり“あれ”だけれども。
「それは関係ないんじゃないの?」
「さあ、それは分からないがね。」
肩をすくめて見せる。
「じゃあ、次は、映画でも観に行きますか、玲菜嬢」
「え?あ、うん」


デパートから歩いて、数分のところにある映画館に行ったのだけれども、
どうやら、始まるのが3時ごろらしくて、まだまだ時間があった。
そこで、それまでの時間は、商店街を歩いて時間をつぶし、映画館に戻った。
見たのは、最新の映画で、よく巷で話題になっているものだったけれど、
いまひとつ、映画の中にのめりこむ事は出来なかった。
それは、やはり考えてしまうから。
映画を見終わって、外に出ると、夕日がすでに傾き始めていた。
歩いて、海浜公園に行く途中、何気なく玲菜の横顔を見た。
俺は、玲菜の答えに、ノー、を突き付けなければならない。
それなのに、玲菜は何も知らず、無邪気な笑みを浮かべて、楽しそうに話しかけてくる。
その表情を見てしまうたび、心がずきりと痛む。


いろいろと考えていると、あっというまに海浜公園についた。
ジョギングコースを海に向かいしばし歩く。
防風林の松林の間を、潮の香りが駆け抜ける。
そんな、松林を抜けると、海風とともに、太平洋が目に入ってきた。
さわやかな海風が吹き抜ける。
「わぁ」
「お」
声がきれいに重なった。
太陽がもうすぐ、太平洋に飲み込まれようとしている。
いつもより太陽が大きく見えるのは気のせいだろうか。
水面がきらきらと太陽の光を反射して、オレンジ色に輝き、ゆらめく。
ざさぁ・・・ざさぁ・・・と響く波の音が心地よい。
「潮の香りがするな」
「そうね。・・・ここに来るのは1年ぶりかな」
「俺も似たようなもんだよ」
波打ち際に向かって二人で歩く。
まっさらな砂地に二人の足跡が作られていく。
「小学の時は遠足の定番だったな。お菓子は300円まで〜、って決められててな」
「そうそう。飲み物は水かお茶だったわね」
「今考えるとずいぶんアホらしい」
「確かにね」
訳もなく、ははは、と笑う。
玲菜も、あはは、と笑った。
砂地の海岸線が、長く長く続いている。
ざざぁ・・・ざざぁ・・・と足元近くまで波が打ち寄せる。
「あ」
玲菜は、何かに気がついたように、波打ち際に打ち上げられている何かを拾った。
「ほら、きれいな貝殻」
見せてよこしたのは、薄く、虹色に輝く二枚貝のものらしき貝殻。
玲菜が見える角度を動かすたびに、色が変わる。
「なんていう貝なんだろうね」
「さあ?昔は拾ったような記憶があるけど、忘れたな」
「もう一つ、探してみよ」
すると、玲菜は軽い足取りで、また波打ち際に歩いてった。
その後を追いかけ、波打ち際を歩く。
「靴が濡れても知らんぞ」
玲菜の後ろから声をかけて、警告をしておく。
誰でもわかるとは思うけれど、波というものは一定じゃない。
常に、弱くなったり、強くなったりところころ変わる。
「大丈夫、大丈夫」
「だったらいいけどな」
玲菜は、波打ち際を見るのをいったん止めて、こちらを見た。
キラッ、と首もとのネックレスが光った。
「私、これでも体育5なんだから。バカにしないでよね」
自信ありげに、そう言う。
「油断してると・・・」
ほら来た。
「・・・きゃっ・・・」
波を避けようとして引き下がった玲菜が、お約束のようにバランスを崩した。
なんとなく予想はついていたので、あわてて手を伸ばして、倒れる前に腕をつかむ。
「っと」
ぐいっと力を入れて引っ張ると、玲菜はよろめきながらも体勢を持ち直した。
「・・・あ、ごめんなさい・・・」
「なにやってんだか。体育5じゃなかったのか?」
少し、皮肉をこめるように言うと、玲菜はすまなそうに目を伏せた。
砂浜に自分と玲菜の影が長く長く作られている。
二人で、再び歩き出す。
「やっぱり、英って優しいんだね」
背後で、つぶやくような玲菜の声がした。
「俺は、優しくなんかない」
ぶっきらぼうに、はき捨てるように言う。
本音だった。
謙遜なんかじゃない。
俺は、優しくなんかないと思う。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
気まずい空気が流れる。
何を話したらいいのか分からない。
「ねぇ、英、返事・・・・・・聞かせてくれる?」
玲菜は静かな声で言った。
なんの返事かは言われなくてもわかった。
「玲菜に言われて考えたよ。そんな、人に告白される、なんて経験無いから、うまく言えないけど・・・」
ちらりと、玲菜の様子を伺うと、
玲菜は神妙な面持ちで、話を聞いていた。
そして、言う決心がついた。
それと同時に、思った。
玲菜・・・すまない・・・
「・・・俺、玲菜の事は好きだ」
「え?」
突然、玲菜が立ち止まった。
こっちが1,2歩前に出る形になり、振り返る。
玲菜は目を見開いていた。
玲菜の顔に、日暮れの西日が当たっている。
「・・・」
「・・・」
俺はこれから、玲菜の思いを壊さなければならない。
・・・玲菜・・・本当にすまない・・・
「ただ、それは、友達として、クラスメイトとして、だと思う」
「あ・・・」
玲菜は気がついたように小さく声を漏らすと、目を伏せた。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
沈黙の中で、鼓膜に、ざざぁ、ざざぁ、という波の音だけが絶える事無く届く。
「・・・ごめん、俺、玲菜とは付き合えない」
「っ・・・」
見る見るうちに玲菜の瞳に涙がたまり、頬に一筋の跡を作った。
ズキン、と心が痛む。
見ていられず、顔を背けた。
俺だって、玲菜を泣かせたくない。
けれど、
このまま、答えを出さずに、平行線をたどることなんて出来なかったし、出来そうもなかった。
「・・・」
「・・・」
ざざぁ、ざざぁ、と波の音がする。
「・・・やっぱり、美咲の事、好きなんでしょ?」
沈黙を破った玲菜の声は、涙声だった。
「・・・ああ。俺、美咲のことが好きだ」
玲菜に背を向けたままで、そう言う。
玲菜には背中を向けていたけれど、涙が浮かんでいる様子がありありと想像できて、胸が痛くなる。
「・・・」
「・・・」
「ふ、ふふふ・・・」
「え?」
「私って、バカだなぁ」
突然、なぜ笑い出すのか分からず、振り返って、玲菜を見た。
玲菜の頬には、涙の跡がついていて、まだ目じりに涙がたまっていたけれど、
玲菜はなぜか、笑っていた。
「私、こうなると思ってたんだ。だって、英と美咲って、夫婦みたいだったし」
くすくす、と玲菜は笑った。
「英が美咲をとることぐらい分かってたから」
「・・・」
「私が負けることぐらい・・・・・・」
けらけら、と玲菜は乾いたように笑った。
それが、無理に笑っているように見えて、胸が苦しくなる。
まるで、矢で胸を打ち抜かれたような痛み。
玲菜の瞳に涙が溜まっていくのが見えた。
「・・・わかってたんだから・・・」
玲菜が俯いたのと同時に、つー、と玲菜の頬に再び涙が伝った。
傷口がじくじくと傷む。
「・・・ごめん・・・玲菜」
気がつくと、玲菜を抱き寄せていた。
これ以上、玲菜の涙を見るのは出来なかった。
「バ、バカ・・・謝らないでよね」
玲菜は小さくそう言うと、俺の胸を一度だけ、軽く叩いた。
「これからも、友達として・・・よろしくね・・・」
「ああ」


家に着いたのは、7時ごろだった。
春先なら真っ暗なはずの時間帯も、今はまだ日が残っている。
いつもなら、誰もいないはずの自宅が、今日は灯りが灯っていた。
直感的に、美咲だろう、と思った。
玄関を開けると、やはり美咲の靴がきれいに整えられて置いてあった。
「ただいま」
そう言う気も起きなかったけれど、気がつくと口から出ていた。
リビングに入ると、美咲がキッチンで、トントントン、と包丁を鳴らしていた。
いつものように、ピンク色でチェック模様のエプロンを身につけている。
「お帰り、英君」
「ただいま・・・美咲」
美咲の姿と、その音を聞いただけで、今までの緊張感が一気に抜けた。
「今日は、冷やしラーメンだよ」
「それは美味そうだな」
「でしょ?」
美咲は、にこにこと笑った。
美咲は今日のことを何も聞いてこない。
その、心遣いにありがたみを感じる。
出来るなら、掘り返さずに、そのままにしておきたい。
「ちょっと着替えてくる」
「もうすぐで、出来上がるからね」
美咲の背中で聞いて、リビングを出た。
2階に上がり、適当に着替えを済ませる。
何気にベットを見ると、きれいにメイキングされていた。
「・・・」
美咲だよな。こんな事をしてくれるのは。
階段を下り、リビングに戻る。
すると、美咲が丁度、ラーメンをテーブルの上に置いているところだった。
早っ。
「できたよ〜。早く、食べよ」
「あ〜・・・はいはい」
美咲はそう言うと、先に席についた。
それに続いて、俺も席に着く。
「今日のは、なんとなく、冷やしラーメンです」
「なんとなく?」
「うん」
美咲は、にこにこ、と笑みを浮かべた。
こちらも、つられて、笑みを浮かべてしまう。
「じゃあ、まず、頂きますか」
「まず?」
「うん」


夕食の片づけをしたのは俺だった。
自分から、片付けぐらいさせてくれ、と言って、させてもらったのだ。
全て洗い終え、美咲が座っているソファーの隣に腰を下ろした。
「終わった?」
テレビを見ていた美咲は、俺に気がつくと、そう聞いてきた。
「ああ、一応はな。でも、面倒だな。皿洗いってのは」
苦笑いをしてみせると、美咲は笑みを浮かべた。
「でしょ。その面倒なのを私はやってるんだから」
「分かってるよ。美咲には本当に感謝してる」
感謝しても感謝しきれない。
「・・・ふふふ、感謝されるような事、したかなぁ」
「してるよ」
「ありがとう」
「なんで、礼を言う」
「私は、英君に感謝してるから。私を・・・選んでくれたから」
急に笑みを消し、真顔になった美咲は、そう言うと、そっと、俺の肩によりかかってきた。
「・・・なんで急にそっちに跳ぶ?」
とか言いながらも、
美咲の肩をとり、美咲と軽いキスをし、潤んだ瞳を見つめる。
「美咲も、俺を選んでくれたろ?」
美咲は小さく肯いた。
そう、俺みたいな中途半端な男を。
自分でも、さっぱりどこがいいのか分からない。
「・・・」
「・・・」
美咲の瞳を見つめながら、
ふと、今日のことを美咲に言うべきかどうか考えた。
美咲は何も言わないでいてくれるけど、やっぱり自分も関係しているのだから、気になると思う。
「美咲」
「?」
「俺、玲菜にきちんと言ってきたよ。俺は、美咲のことが好きだって」
正直、玲菜にそのことを言った後は、かなり精神的ダメージを受けたけれども。
「・・・」
「だから、美咲にもきちんと言おうと思う」
「え?」
一瞬、美咲の瞳に驚きの色が浮かんだ。
「俺、美咲のことが好きだ。不甲斐ないダメ男だけども、付き合ってほしい」
「・・・」
「・・・」
一時、沈黙が流れる。
美咲は、目じりに涙をためると、それを手でぬぐった。
「・・・断るわけ無いでしょ、私が。・・・うん、いいよ・・・英君」
どうしようもなく、美咲が愛おしくなって、美咲の背中に腕を回して、ぎゅっと抱きしめた。
それこそ、息が苦しくなるぐらいに。
美咲の腕も、背中に回される。
ものすごく、温かい。
「・・・」
どちらとも無く、手を緩めた。
そして、互いの瞳を見つめあう。
「英君・・・」
「・・・美咲」
そして、俺らはそっと、口付けを交わした。
・・・
・・・・・・


・・・
・・・・・・
気がつくと、カーテンの隙間から日が差し込んでいた。
光の強さから、もう結構な時間ということが分かる。
視線を真上に移すと、真っ白い天井が目に入ってきた。
それを、ああ、自分の部屋なんだな、と認識するのには、しばし時間がかかった。
ちゅんちゅん、とすずめのさえずりがいつもより大きく窓の外から聞こえてくる。
「?」
手を動かそうとすると、妙に左手が重い事に気がついた。
そちらの方をふと見る。
すると、そこには、頬をかすかに赤く染めた美咲がいた。
美咲は俺の腕を枕に使っている。
俗に言う、腕枕というやつ。
何も言わず、美咲の頬にキスをしてやる。
すると、美咲は可愛らしく頬を赤らめた。
「おはよう。・・・英君」
「おはよう、美咲」
「もう、10時だよ?そろそろ起きたら?」
美咲はそう言うと、つんつん、と俺の頬を突っついてきた。
おのれ、男の頬をつっついて、楽しいか。
こっちも、仕返しに美咲の頬を突っついてやる。
「いいや、もう少しごろごろしてたい」
「お昼になっちゃうよ?」
「いいのいいの」
そう言って、美咲に思いっきり抱きつく。
少し、子供っぽいかもしれないけれど、
今は、こうして、美咲とべたべたしていたい。
「ひ、英君・・・」
「美咲」
腕の力を緩めて、美咲の瞳を見つめる。
そして、言った。
「昨日は・・・可愛かったよ」
「え!?・・・え?あ・・・う・・・」
美咲は、ボン、と音がなりそうなほど、一気に顔を赤くした。
可愛い・・・
「も、もう・・・英君ったら・・・」
美咲は、頬を赤く染めて、恥ずかしそうに目を伏せた。
そっと、唇にキスをする。
ぴり、っと電流が流れた気がした。
「美咲」
再び美咲を抱き寄せる。
温かくて、安心する。
美咲は背中に腕を回すと、嬉しそうに言った。


「ねぇ、英君。・・・・・・私たち、ずっと一緒だよね」


暑い暑い夏休みが、今、始まろうとしていた。



〜Fin〜





初版完成日
2004/07/14 00:47






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