身近にある絆第九話

身近にある絆(第九話)

美咲と映画を観にいった翌日、俺は早速、健也に事情聴取をかけた。
「でだ、実際のところ、何かあったか？」
昼休み、屋上に引っ張ってきて、早速切り出す。
今日も天気はよく、晴れきっている。
「別に何も無かったよ。」
とか言いつつ、白々しく顔をそむける健也。
回り込んで顔を覗き込むと、･･･いや、見上げると、健也は顔を赤くしながら空を仰いでいた
「ははぁ･･･」
「･･･」
黙ったところをみると、ついに、禁断の領域にってところか。
目を見ようとする俺、目を合わせようとしない健也。
しばらく、追いかけっこをしたところで、俺はついに悟った。
「ん～･･･ゴールインまでは時間の問題ですかな？」
かまをかけるように言うと、健也は、オーバーなリアクッションをとった。
「ま、ま、まさか、そんな、憐さんと･･･」
手をわたわたと動かしている。
言葉につまり、冷や汗のようなものが健也の額に浮かんでいるのが見えた。
目も、焦点が合っていないような感じだ。
動揺しているのが、見え見えである。
「憐さん？」
俺が聞き返すと、健也はハッと驚いて自分の口を押さえた。
「あ、いや。」
「別に隠すことじゃないだろうよ。」
「何というか、その、つまり･･･」
もごもごと言葉を濁してきた。
あ～もうっ！身長でかいんだから、もう少しはっきりしたらどうだっ。
煮えきれない感じだけれど、ここで怒鳴ったら、声とともに友情が空に消え去ってしまう。
ここは地道に、外堀から埋めていくに限る。
そう思った俺は、早速、誘導尋問を始めた。
「手繋いだ？」
「･･･」
健也は首を縦に振った。
「口付けとやらは？」
「･･･」
「･･･」
「･･･」
しばしの沈黙のあと、健也はためらいがちに首を縦に振った。
「その次は？」
様子を見るように聞くと、彼はブンブンと音が鳴りそうなくらいに首を横に振った。
「ん～･･･」
「憐さんに、そんなこと出来ない。」
「･･････そうか。まあ、がんばれ。俺は応援してるぞ。」
「ありがとう。」
肩を叩いてやると、健也は。フェンスに手をかけ、街並みを眺め始めた。
いつもと変わらない風景なのに、誰が見ても同じような風景なのに、
健也には、輝いて見えてるに違いない、そう思った。

数日後･･･
「･･･」
教室の窓から、外の世界を眺める。
校庭、寮、街並み、海、見える物は何一つとして変わっていない。
ただ、決定的に違うものがあった。
「おいおい、この雨何とかならないか？」
いつのまにか、隣に立っていた勇治がそう悪態をついた。
俺も勇治の意見には同感せざるおえない。
ザーザー、と嫌なくらいに雨が降っている。
「入梅発表されたの、昨日だっけか？」
「ああ。」
「あとしばらくは、外で遊べないな。」
「全くだ。」
勇治ははぁ～、と面白くなさそうに肩を落とすと、俺の側から離れていった。
入梅が発表されたのはつい昨日。
予想なんか当たらないよな、雨なんか降るわけが無い、と付けあがって、
傘を持ってこなかったために、帰りたくても帰ることが出来ない状態になった。
全く情けない話である。
もちろん、披水しながら帰ることも出来るけど、ぬれた制服の処理が面倒である。
「ん～･･･」
止むまで待つ、という選択肢は梅雨の時期には使えない。
そんなのを待っていると、明日までここに居ろ、という事になる。
これだから、梅雨は好きじゃないんだ。
『勘弁しろよだな。』
『傘持ってきた？』
『私、忘れた。』
『俺は親呼ぶよ。』
『おい、乗せろって。』
『･･･荷台でいいか？』
傘を忘れた愚か者たちは、どう帰るかで必死である。
親を呼べる者は、楽であるが、俺はそうじゃない。
俺の親は出張中だ。
「英、どうするのよ。」
「あ？」
後ろを振り向くと、不機嫌そうな顔をした玲菜がいた。
今すぐ、プッツン、といきそうでは無いにしろ、それなりの恐ろしさがある。
「雨よ。」
「ああ、雨だな。でも、今のところ対処のしようが無い。」
顔を外に向け、玲菜に背中を向けたままで答える。
こんな雨の中、駅まで行かなければならない人もいるし、
家が遠くて、30分以上自転車を漕がなければならない理不尽な人もいる。
それに比べれば、玲菜は数百メートル走るだけでいい。
「傘貸してくれない？」
玲菜が俺に近づいてきたのは、どうやらそれが理由らしい。
相変わらずだな。
そういうストレートなところが、実に玲菜らしい。
「残念ながら、俺は無理だ。」
俺は振り向いて言った。
「どうしてよ。」
「無いから。」
そう言うと、玲菜は呆れたような、あざ笑うような、そんな顔をした。
「バカね。忘れたの？」
「玲菜も同じだろ。」
「そうね。」
玲菜はそう呟くように言うと、廊下に出て行った。
「何だ？」
いつもとは違う玲菜の反応に思わず首をひねってしまった。
「･･･」
結局、披水しながら帰ることとなった。

梅雨時期の学校環境はとにかく悪い。
雨は、人の活動能力を落とし、傷心的な気分にさせる。
案外、それは嘘ではないな、と思った。
じめじめじめじめ、と嫌なぐらいの湿度がみなを襲い、
思考能力は極端に低下し、体力を容赦なく奪う。
窓は湿度で結露がつき、廊下もまた結露でつるつるとすべる。
廊下をひとっ走りしようものなら、野球部もびっくりのスライディングをやってのける事になる。
下手をすれば、観客から大きな歓声をうけるだろう。
教室にあるのは扇風機だけ、エアコンをつけてくれと知事に頼みたいぐらいだ。
全く、いいことが無い。
晴れの日がたまにあることだけが、せめてもの救いだ。
「今日も雨か？」
勇治が憂鬱そうに言った。
「そうらしい。降水確率は90％だそうだぞ。」
窓の外は、相変わらず、雨模様だ。
入梅してから、10日ほど経った。
いつもなら、ハイテンションになる放課後も、ここまで雨が降るとさすがに疲れる。
「てるてる坊主でも作るか？」
俺はそう提案した。
雨を降らせない、といえば、てるてる坊主である。
子どもの頃は、よく作った記憶がある。
「そんなので、天気がよくなれば、100個でも作るよ。」
「･･･」
はぁ～、というため息が重なる。
てるてる坊主なんか、所詮、子供騙しか。
窓の外を勇治と見ながら、哀愁に浸る。
「今日は部活無いのか？」
「ああ、絵が湿気吸ってだめだ。」
それに、こんな湿度じゃやる気にもならない、と勇治は付け加えた。
全くだ、と俺も首を振る。
「お前もたまには来いよ。」
「ああ。」
お互いに顔を見ないで、外を見たまま話す。
校庭には、色とりどりの傘が開いている。
その色が、鉛色に染まった周りを明るくしている。
「･･･」
「･･･」
その明るさを見ても、憂鬱だ。
このまま行くと、鬱になりそうなくらいに。
「お～、英に勇治。何してるのかな？」
アンダーテンションの俺らに対比するように、
ハイテンションを飛び越し、オーバーテンションの奴が現れた。
のそっ、とした動きで後ろを振り向く。
「なんで、健也はそんなに元気なんだ？」
勇治は、訳がわからない、といった様子で聞いた。
まだ健也と憐先生の関係についてまだ知らないのだろう。
でも、それは、勇治に限ったことではない、と思う。
二人の事について知っているのは、俺と美咲ぐらいのはずだ。
もちろん、俺はその事について、言及はしない。
余計なことを言ったら、学校中に広まりかねないし、信用も損ねる。
そうしたら、憐先生がこの学校にいることは出来なくなるだろう。
美咲もその事については十分、分かっているはずだ。
「『どうしてそんなに元気なんだ？』だって？」
健也は、おどけた様子で、それは･･･、と続けると、勇治の近くに歩み寄った。
「教えることが出来な～い。わはははは。」
「そ、そうか･･･」
勇治も、口を大きく開けて笑う健也の豪快さに、引き気味だ。
離れてみている俺ですら、引いてしまう。
健也は、近寄る湿度をものともせず、クラスで唯一、飛びぬけて元気だ。
そのエネルギー源となっているのは、今、職員室にいる方だろう。
さすが、なんとかの力である。
「お、ちょっと失礼。」
ハッと、何かに気がつくと、健也はポケットから携帯電話を取り出した。
メールか？電話か？
そう考えていると、健也は予想外にも、画面を確認しただけで、すぐにしまった。
「？」
突然、健也はビシッと起立をして、敬礼をはじめた。
「では皆さん、自分めは用があるので失礼します。」
俺たちにそう言い、みんなにも、似たような事をすると、
カバンを手に取り、ダダダダダ、と勢いよく教室から出て行った。
「･･･」
「･･･何？」
「･･････さあ？」
突然の事に、クラスがシーンと静まり返り、みんなと顔を見合わせてしまう。
「あれは致命的だと思わないか？勇治君。」
「その通りだな。脳神経外科にでも連れてくか？」
しばらくすると、クラスはざわめきを取り戻した。
再び窓の外を眺め始める。
雨が止む気配は微塵も感じられない。
「あらら･･･」
健也が、大雨の中、猛ダッシュで校庭を駆け抜け、校門を出て行くのが見えた。
しかも、傘を持っているのに、傘を差さしていない。
「あれは、病気か？」
勇治がそんな事を言った。

午前中は晴れで午後は雨、または、午前中は雨で午後は晴れ、
あるいは一日中雨、か、ごく稀に一日中晴れ、
という、変則的な天気を見ながら、すごしていると、あっという間に2週間ぐらいたった。
俺のその2週間というと、ぼーっとしながら、宿題を解くのが限界だった。
みんなもそうだと思う。
ただ、世の中には変わり者と言われる奴がいるもので、
みんなが、アンダーになっている時、やはり健也だけはオーバーだった。
そんな、ある日･･･
「あ。」
俺は、いつものメンバーで昼食を摂るため食堂に来ていた。
屋上は残念ながら、雨の為使用不可だった。
「どうした？英。」
ハッとした俺の様子に気がついた勇治が、聞いてきた。
「なあ、なあ、今日って19日だよな？」
「そうでしょ。日付ぐらい頭に入れといたらどう？」
あんぱんをかじっていた玲菜が、呆れたように、横槍を入れてきた。
「悪かったな。」
むっとした表情で答える。
「それより、何か忘れてないか？」
顔を元に戻して、みんなの顔を見渡す。
「え？」
「何を？」
ったく、だめだねぇ、という表情をして、呆れて返して見せる。
それを見た玲菜は、テーブルに据え置きの割り箸を一本取った。
「いいから、もったいぶらずに言いなさいよ。」
今にも、突き刺しそうな勢いである。
「あ～、分かった分かった。分かったから、その割り箸を置け。」
割り箸を投げつけようとしている、無表情な玲菜を落ち着かせる。
食堂で、殺人事件なんて前代未聞だぞ。
「で、何？」
玲菜が箸を置いたところで、勇治が聞いてきた。
「6月23日は、美咲の誕生日～。」
そうだ、6月23日は美咲の誕生日。
ここは一つ、日ごろのお礼も込めて何かしたいところだ。
「で、ここは一つ祝賀会のようなものをしたいなぁ、と思ってるのであります。」
高らかに宣言する。
これで、右手にワイングラスでもあれば完璧だ。
「え!?英君、覚えててくれたの？」
「ああ。」
美咲は驚いた様子だ。
そこまで驚かんでも、と言いたいところなのだけれど、去年までまともに祝ったことが無いので、
まあ、仕方がないといえば、仕方が無いだろう。
あと、今、思い出した、という事は伏せておこう。
「いいんじゃないのか？梅雨の景気晴らしにもなるし。」
うんうん、と納得していた勇治が言った。
「私もいいわよ。」
玲菜も納得したところで、俺は続けた。
「でだ、23日は学校がある。つまり、何かをしたくても時間を割くことが出来ない。
たとえ、割くことが出来ても、3時間程度だ。それに、美咲にだって親がいるんだから、
ケーキぐらい、用意してあるはずだ。」
「確かにな。娘だし。」
肯く勇治を確認してから、更に続ける。
「だろ？で、美咲には大変申し訳ないが、前倒して、21日に祝賀会を実行しようと思う。
22日でもいいんだが、翌日が学校だ。それはちと辛い。だから21日という事で、どうだろうか。」
美咲の様子を見る。
ここで、美咲が、いいよ、と言わなければ、23日の3時間程度か、
そもそもそんな事しない、という事になる。
そんな事になれば、問屋が卸さない、ではなくて、俺が納得できない。
昨日も、一昨日も、わざわざ俺の家に来て、料理を作ってくれた。
もう、日に日に頭が上がらなくなる。
「私は、そんな事してくれるんだったら、いつでもいいよ。」
「よし、じゃあオーケーな。」
これで、やっと納得が出来る。
まだまだ借りは、山のようにあるけれど。
「それはいいけど、どこでやるのよ。」
ホッとしていたところに、また玲菜が横槍を入れてきた。
その俺が何も考えていない、みたいな言い方はやめてもらいたい。
少しぐらい、考えてるわ。
「まあ、俺の家でいいか？親いないし、エアコンついてるし、リビングつかえるし。」
「俺はいいぞ。まさか、寮でやるわけにはいかないしな。」
「私も、かまわないよ。」
「それなら、いいわよ。」
さて、これでみんなが納得してくれた。
「あと2日ある。それまでに、誕生日らしい物を用意すること。」
詳しく言わなくても、分かってくれるだろう。
さて、日程は決まった。ただ、問題は料理をどうするか、なんだよなぁ。
この4人のメンバーの中で、料理がまともに出来るのは、美咲しかいないけれど、
主賓なんだから、作らせるわけにはいかないし･･･なぁ？
誰にでもなく、聞きいてしまった。
ん～･･･

その日の夜、俺はかなり考え込んでいた。
「むむむ。」
考え込んでいる内容は、他でもない、21日の事。
ようは、美咲が何を欲しがっているか、それが知りたい。
今さら、何が欲しい？なんて、聞けるわけが無いし。
それに、ここは、美咲が驚くような事をしてみたい。
「･･･」
趣味が分からないからには、オーソドックスにあれでいくしかないか。
問題は、喜んでもらえるかどうかだけれど、
それに賭けるしかない。
まあ、･･･当日にでも、買いに行くか。
さて、次の問題は、料理だ。
これをどうするか。
美咲に任すわけにはいかない。
なんと言ったって、主賓なのだ。
主賓に料理をさせるなんてもってのほかだ。
しかし、俺が出来る事といったら、ピザを頼むとか、ケーキを頼むとか、すしを頼むとか、それぐらいしかない。
しかも、それらは全て、美咲が作れる料理だ。
特に、ケーキは得意だ、と自分で言っていたような気がする。
市販の物を持ってきて、美咲は不快に思わないだろうか。
自分が得意とするものを、持ってこられるという事は、
餅屋に、自分が作った不味い餅を売ってくれ、と言っているようなものだ。
失礼以外の何ものでもないだろう。
「ん？」
考え込んでいる時に、突然、枕元に置いてある携帯電話が、ピピピピピ、と鳴った。
誰だろう、と考えながらも、相手を確認せずに、通話ボタンを押す。
「はい、もしもし。」
『あ、英君？』
通話機の向こうから聞こえてきたのは、アルト調の美咲の声だった。
「美咲か？どうしたこんな時間に？」
もう、時計は10時を回ろうとしている。
美咲は滅多に電話をしてこないし、夜中に電話をしてくる事なんて、記憶にない。
『お礼が言いたくて･･･』
美咲はゆったりとした口調で言った。
「お礼？」
何を言いたいのかが分からない。
お礼を受けるような事したっけか？
むしろ、俺が言いたいぐらいなんだけれど･･･
『今日は、ありがとう。誕生会を開こうって、言ってくれて。』
少しの間を開けて、美咲はそう言った。
「なんだ、それか。そんな事、気にするなよ。いっつも美咲に迷惑かけてるな、
と思って、言ったんだから。ここで、礼を言われたら、また返さなきゃならないじゃないか。」
美咲はくすくすと笑った。
『優しいんだ。』
「俺が？勘弁してくれよ。」
『ううん、英君は優しいよ。･･･暖かくて、大きくて･･･』
美咲は呟くように言った。
どことなく、声が寂しそうに聞こえる。
「何言ってんだ。」
俺より、優しい奴なんか、いくらでもいる。
なんで美咲がそんな事を言うのか、やっぱり分からない。
『あ、そうそう、明後日は私が料理作るよ。』
「え？」
急に美咲の声が明るくなった。
突然の変化に、頭がついていかない。
『英君、どうするか悩んでたでしょ？』
「あ、ああ･･･」
美咲の言葉に、ドキッとしてしまう。
たしかに、さっきは料理をどうするかと真剣に悩んでいた。
なんで、分かったんだ？
『何年、一緒にいると思ってるの？英君が思ってる事なんて、大体分かるんだから。』
美咲は、またくすくすと笑った。
「そ、そうか。」
声が自然と引きつってしまう。
頼むから、むやみに、人の考えを読み取るのは止めてくれ。
行動が読まれると、ろくな事が無い。
まさか、プレゼントの事まで知られて無いだろうな。
計画がパーになるぞ。
『じゃあ、また明日ね。』
「おやすみ。」
『おやすみなさい。』
「･･･」
電源ボタンを押して、通話を終了する。
「なんで、分かったんだ？」
この前、なんとなく考えが分かる、と言っていたけれど･･･
何かあるぞ、これは。
美咲の勘に驚きながらも、悩み事が一つ減った開放感からか、瞼を閉じると、
あっという間に、夢の中に引きずり込まれた。

翌日の放課後、俺は早速、次の計画の実行に入った。
「勇治、ちょっと用意してもらいたい物があるんだけが。」
かばんに荷物を詰め込んでいた勇治は、不思議そうな顔をして振り向いた。
「何をだ？」
「シャンパン。」
誕生会とかの必需品と、自分は思っている。
というか、一度でいいから、お子様用のではなく、本物のシャンパンを飲んでみたかった。
「おいおい、シャンパンと言っても、いろんな種類があるんだぞ。」
勇治は、勘弁してくれよ、といった口調で言った。
「そ、そうなのか？」
「そうだ。」
言い切る勇治に、少々たじろんでしまう。
てっきりシャンパンはシャンパンだと思っていた。
「じゃあ、女性にも飲めて、手ごろなやつはないか？」
「手ごろ･･･なやつか･･･手ごろなやつね･･･」
勇治は俺の言葉を反芻すると、考え込んだ。
勇治にこんな事を頼むのは訳がある。
勇治の両親は、街の方で、酒屋をやっているのだ。
アルコールに関しては、たしなむ程度なら、気にするな、というのが親の弁らしいが･･･
「手ごろ･･･って、一本3000円以上するぞ。金有るのか？値段でいったら、スパーリングワインのほうがいいんじゃないのか？」
ちなみに、何で勇治がこんなに詳しいのかは分からない。
「スパーリングワイン？」
聞いた事が無い名前に、思わず聞き返してしまう。
「ワインに炭酸が入った感じのものだ。」
ワインに炭酸･･･
なんとなく、想像はつく。
「で、いくらぐらい？」
問題は値段だ、3000円もするようなもの、多少余裕があっても、数本頼むのはきつい。
一本で俺の4,5日分の食費だ。
「安い物だと、1本750mlで、800円程度かな。」
1人1本として、4本。
予備で1本。
余ったら余ったで、後で勇治と飲めばいいか。
「じゃあ、それ5本頼めるか？」
「大丈夫だと思う。あと、料金は後日払ってもらうぞ。」
「分かった分かった。」
というわけで、スパーリングワインを入手する事に成功。

『本日の西日本は、一日を通して、全体的に晴れの予想となっております。』
朝方、そうアナウンサーの声を聞いたとき、よしっ、と思った。
やはり、祝い事があるときは、晴れに限る。
玄関先から空を見上げると、夏を予感させるそんな空が広がっていた。
久しぶりの青空に、心がすーっと奪われてしまう。
自分の汚れがすべて取れそうな、そんな気分だ。
美咲の家の庭に目を移すと、紫陽花の花が目に止まった。
淡く咲いていて、葉の上にある水滴が、太陽光を眩しいぐらいに、反射させている。
「ん～･･･いい天気だ。」
そう言わずにはいられない。
美咲の誕生会は、午後6時からとなっている。
なぜ、この時間になったかと言うと、料理の下準備に時間が掛かるからと、
やはり、パーティーと言われるものは、夜やるのが筋だと思ったからだ。
多分、午前中は美咲と一緒に料理の手伝いをする事になりそうだ。
もう、午後3時になるから、そろそろ来るはずだ。
「あれ？何やってるの？」
玄関先に立って、空を見上げてる様子を見てか、美咲がそんな事を聞いてきた。
「天気いいなぁ、と思ってな。」
空から、顔を下ろすと、不思議そうな顔をしている美咲がいた。
「そうだね。」
空を再び見上げる。
大きな雲がゆったりとぷかぷか移動して、こっちまでスローペースになりそうだ。
時間が穏やかになったような、そんな気にさせる。
「･･･そろそろ行こうか。」
「ああ。」

買い物かごの中には、俺が一度も買ったことの無いような物から、誰でも見たことのあるような物など、
いろんな物が詰め込まれていた。
何が出来るのか、想像すら出来ない。
この食材で何が出来るかぜひ知りたい。
「美咲、これで何作るんだ？」
「え～っとね･･･教えな～い。」
少し考え込んだ美咲は、いたずらっぽい笑みを浮かべて、言った。
その反応に、思わず頬をつねりたくなってしまったが、店の中と言う事を思い出した。
「じゃ、じゃあ、出来上がるのを楽しみにしてるよ。」
「期待しててね。」
「ああ。」
すると美咲は、また嬉しそうに笑った。
美咲と来たところは、近所のスーパーマーケット。
量ではなく質で勝負、という店で、そのためか、あまり若い客が見受けられない。
「これも、よそさそうだなぁ。」
何を作るのか全く分からない俺の前で、
美咲は、丁寧に目利きしながら、買い物かごに食材を詰め込んでいく。
何がいいのか悪いのか、どうやって区別しているのか、さっぱり分からない。
どれも同じように見える。
「あとは･･･」
一つの食材を選んだところで、また移動する。
あまりに、美咲が選別に時間をかけるため、
だんだん、買い物かごを握っている右手が痛くなってきた。
それを顔に出さないようにしっかりと握りなおす。
美咲もそれなりに、ポリシーとかがあるのだろう。
俺にだって少なからずあるし。
だから、『俺は手が痛いんだ、早くしろ』、とか『どれも同じだろ』、と言うことは出来ない。
「あれ？なんで、こんなに安いんだろ。」
美咲はねぎが置いてある場所で立ち止った。
一本を手にとって、質を確かめるように、見定めている。
「･･･あ～･･･輸入物かぁ。」
値札の端を見て、美咲が納得したように肯いた。
俺はそれを見て、疑問が一つ浮かんだ。
「輸入物と国産って、やっぱり違うのか？」
見た目もほぼ同等。それの一体どこが違うのか。
初めて買う人なら、間違いなく安い方を買うだろう。
俺もそうだろうし。
「それはやっぱり違うよ。地物は味がいいし、食感も違う。
それに、輸入物は農薬とかの関係で、どことなく怪しいからね。」
料理に関しての知識が豊富にある、美咲が言うからこそ、説得力がある。
そう言われてみれば、一時期、残留農薬がどうだこうだ、と世間で騒いでいたような気がする。
「でも、良い物はいいよ。全部が全部悪いわけじゃないし。」
美咲は補足するように、言った。
それはそうだよなぁ、と納得する、全部が全部悪かったら、買う人がいなくなるよな。
常識から考えて。
「あ、でも、安いうなぎは凄いよ。ゴムみたいで。」
それから、美咲のセールストークが始まり、店を出るまで止まらなかった。
熱心な様子で話す美咲は、楽しそうに見えた。

会計はもちろん俺が払い、荷物も重いほうを持った。
6000円強の出費は、安いとはいえないけれど、美咲の苦労から見れば安すぎると思う。
それに、美咲の笑顔も見れたし、いろんな事を教わった。
全ては覚えていないけれど、将来、何かしらの役に立つに違いない。
「じゃあ、お邪魔するね。」
玄関に入った美咲が、言った。
「ああ、自分の家だと思って、自由に使ってくれ。」
「ふふふ、ありがとう。」
美咲は、微笑んで答えると、早速準備を始めた。
自分が持ってきたバックから、薄ピンク色のエプロンを取り出し、
考えられない手際の良さで、あっという間にそれを着け終わり、キッチンに入った。
「早いな。早いというか、速いな。」
手先が器用だ、とはこの事を言うに違いない。
そんな様子を見ていると、俺の出番は一向にないように見える。
けれど、全てを美咲に任せるわけにはいかない。
今日は、美咲の為の、なんだから。
「何か手伝うか？」
「え？本当？」
俺が話し掛けると、美咲は目を丸くした。
驚いた様子で、俺を見ている。
そんなに信用されていないものなのか。
「嘘を言ってどうするんだよ。俺は最初から手伝うつもりだったぞ。」
「･･････」
美咲は突然くすくすと含み笑いをした。
なんで笑うのかよく分からない。
「･･･やっぱり、英君って、優しいな。」
しばらくした後、美咲はやさしい目でそう言った。
目が何かを語りかけようとしているような気がする。
けれど、何を言いたいのかが分からない。
「また、それを言う。」
戸惑いながら答えると、美咲はくすくすと笑った。
『やっぱり、美咲にはかなわないなあ。』
美咲の笑顔を見て、本気でそう思った。

日が沈み、あたりが暗くなってきた頃に、二人はやって来た。
「うわ、いい匂いがするぞ。」
「本当。」
リビングに入った二人が言った、初めの台詞がそれだった。
キッチンの料理からは、いかにも食欲をそそるような匂いが漂っている。
料理は完成の域に近づいてきているので、風邪でもひいていない限り、わかるはずだ。
ちなみに、俺はさっきまで料理の手伝いをしていたのだけれど、
料理が出来るにしたがって、手伝うのが少なくなっていき、最終的には、やるものが無くなった。
情けない。
「だろ？今日は、美咲プロに腕を振るってもらったのだ。」
美咲をチャーターした俺としては、鼻高々である。
「お前が、威張ることじゃないだろ。」
「そうよ、それに、英。主賓に仕事させるってどういうことよ、自分でやったらどう？」
玲菜は、冷ややかな目つきで俺を見た。
相変わらず、口調が厳しい。
「分かってるよ。･･･ただ、俺にはどうしようもないんだなぁ、これが。」
残念ながら、と目を伏せてみせる。
玲菜の意見には、納得だけれど、不味い料理をみなに食べさせるわけにはいかない。
すると、玲菜は納得のいかない様子で、美咲に話し掛けた。
「美咲も、何か言ったらどう？」
「ふふふ、私はなんにも言う事ないけどなぁ。」
俺たちのやり取りを、ほほえましそうにキッチンから見ていた美咲は、
玲菜の問いに、にこにこと笑みを浮かべながら、答えた。
「だそうだ。」
ほれみろ、という視線を、玲菜に送ると、玲菜は何事も無かったようにスルーをした。
「それにしても･･･」
全く、その神経の太さの3分の1でもいいから、いただきたいもんだ。
「美咲も、お人よしだわね。」
玲菜ははぁ～、とため息をついた。
流石の玲菜も、当の本人がいいと言っているのだから、反論のしようが無いのだろう。
「あと少しで出来るから、ちょっと待っててね。」
「そんなに、急がなくていいぞ。」
俺が言うと、美咲はすまなそうに笑った。
「そうだそうだ、例の物もって来たぞ。」
「どうもな。」
勇治の手から、例の物が入っていると思われる、布袋を受け取る。
「おっと。」
危なく、床に落としそうになった。けっこうずしっとくる。
考えても見れば、ビン含めたら、5kgぐらいにはなるはずだから、重いのは当たり前だ。
あくまでも、片手で持ちで、不意打ちを食らえばの話だけれど。
5kgで音を上げてたら、将来が不安で仕方が無い。
「･･･」
興味から、一本を取り出して見てみる。
スパーリングワインは、当たり前の事ながら、ビンに入っていて、栓にコルクがしてある。
ビンは色付きで、緑っぽい色をしている。
ラベルは筆記体で書かれていて、全く分からないし、読めない。
「冷蔵庫にでも入れておいてくれ、しばらくすれば飲み頃になると思う。」
「オーケー。」
「グラスは･･･あるよな？」
勇治は心底、心配そうな顔をして、言った。
「それはある。」
午前中のうちに、二階の倉庫部屋から、ワイングラスを引っ張ってきた。
昔、どこからか貰った物らしく、箱に丁寧に詰められたままだったけれど、
箱にはうっすらと埃が積もっていた。
高くはない物だとは思うけど、普通のコップで飲むよりは断然、雰囲気が出るはずだ。

「丁寧に扱わないとな･･･」
「英君、それ何？」
「ん？」
冷蔵庫の前に座り込んで、スパーリングワインを入れようとしていると、美咲に背中から声をかけられた。
一体何を聞いているのだろう、と思ったけれど、
美咲がビンを見ているのを見て、何が知りたいのかが分かった。
「ああ、これか？スパーリングワインだよ。」
「スパーリングワイン？」
疑問の眼差しを向けている美咲に、一本を手渡す。
百聞は一見にしかず、だ。
「･･･」
「･･･」
美咲はビンを手にとり、相手の正体を暴こうとしている。
いつものにこにこした表情とは打って変わって、真剣な眼差しだ。
かなり凛々しく見え、知的な感じがする。
･･･実際、知的なんだけど。
「ワイン･･･なんでしょ？」
「らしい。」
俺は、勇治から発砲するワインだ、としか聞いていないので、曖昧に答えるしかない。
「泡が出るワインなんだと。本当は、シャンパン欲しかったんだけどな、予算の関係でカットになった。」
苦笑いを作りながら、美咲からビンを受け取る
「あとで、みんなで飲もうな。」
「うん。」
美咲は微笑んだ。

「では、美咲の17歳の誕生日を祝って･･･」
「かんぱ～い！」
「乾杯っ！」
「かんぱ～い！」
カチンと、スパーリングワインが注がれた4つのグラスが、小気味いい音を立てて交わる。
「あ～･･･」
ワインを一気に飲み干すと、まろやかながらもキレのある味が、伝わってきた。
結構美味いでないの。
グラスをテーブルにおいて、呼吸を整える。
「美咲君、これから君は17歳だ。心も体もリフレッシュして、これから一年間がんばってくれ。」
ぱちぱちと、拍手が沸きあがる。
「英君、勇治君、玲菜、今日は、本当にありがとう。」
美咲は、丁寧に頭を下げた。
「何言ってるのよ、美咲。これぐらいいつでもやってあげるわよ。」
玲菜は美咲を励ますように、言った。
俺は玲菜の言っている事に、賛成だ。
本当に、これぐらいで、喜んでもらえるなら、いつやってもいい。
「そうだよ、俺だって、呼んでもらえれば、それなりの事はするつもり。」
勇治は、玲菜を後押しするようにそう言った。
俺は黙って肯く。
「さて、次のプログラムは、プレゼント寄贈。」
俺が言うと、美咲はえ？と驚いた顔をした。
「さーて、二人とも、何か持ってきてるだろ。」
二人は黙って、首を縦に振った。
「そういう、英は？」
「大丈夫だ、ぬかりは無い。」
「では、大の親友である、玲菜さんから。」
声のトーンを整えて、言う。
玲菜は、持ってきた大きめのバックから、白を基調に包装されたものを取り出した。
赤いリボンが、大きなアクセントとなっている。
「わぁ、ありがとう、玲菜。」
美咲は大の友人からプレゼントを貰って、いつになく嬉しそうに微笑んだ。
「･･･開けていいかな？」
「いいわよ。」
玲菜の返答を聞くと、美咲はリボンをはずし、プレゼントをひっくり返してから、
丁寧に、包装を開けた。
出てきたのは、変哲も無い、厚さ5～6cm程の箱だ。
美咲はそれのふたを、恐る恐る開いた。
「わぁ･･･日記帳かぁ･･･嬉しいよ、玲菜。」
箱の中には、表紙が革で出来てると思われる、いかにも高そうな日記帳が収まっていた。
そういう物を上げるという事も出来たか、思いつかなかった。
「そう？そう言われると、選んだ甲斐があったわ。」
玲菜は照れたように微笑んだ。
「では、次は美術部部長の勇治君から。」
「大していい物じゃないんだけど･･･」
勇治はすまなそうに、そう言って、持ってきたバックの中から、何かを取り出した。
縦長の箱で、これもまた包装されている。
「料理用の日本酒ね。」
それを美咲に渡すと、勇治はまたバックから包装された何かを取り出した。
「あとは、既製品なんだけど、調味料セット。･･･一応、珍しい物を選んだつもりだよ。」
「わあ、ありがとう。勇治君。」
美咲は、本当に嬉しそうに微笑んだ。
プレゼントを贈ってもらった美咲だけじゃなく、贈った二人も、嬉しそうだ。
「じゃあ、最後に英だな。」
勇治は俺が何を出すのか知りたいのか、好奇心に満ちた目をして、そう言ってきた。
「あいよ。ちょっと待っててな。」
俺はそう言って、リビングから出た。
廊下をはさんで、向かい側の和室に入り、押入れの下段から、用意していた物を取り出す。
もうちょっと、多くてもいいかな、とは思ったんだけれど、結構花って、高かった。
買ったのは今日の午前中。
美咲が来る、ずっと前だ。
誕生日プレゼントにぴったりの花束って、作ってもらえますか？と店員さんに言ったら、
相手の年齢と、性別、どんな感じに仕上げるか、を教えてください、と言われて、
答えたら、あっという間に出来上がった。
買うのはかなり恥かしかったけれど、持って来るときのほうが恥かしかった。
視線が痛いのなんの。
「でんで～ん。」
効果音をつけながら、リビングに入る。
「俺からは、花束を贈りま～す。」
高らかに宣言をすると、みんないっせいに、花束を見た。
花束は、様々な種類の花からなっていて、鮮やかである。
「わぁ･･･」
「うわ、英、それ買ったのかよ。」
「英が、花束･･･」
3人とも、あっけに取られたように驚いている。
花束は、抱えきれないぐらい数が多いわけでもなければ、バラのように、派手な咲き方もしていない。
驚く点はあまり無いように思える。
それとも、俺が買ったことに驚いているのか？
まあ、それなら、意表を突いたことになるので、花束作戦は成功と言う事になる。
俺は、ゆっくりと美咲の側まで歩み寄った。
「美咲、誕生日おめでとうな。」
おずおずと、差し出された両手に、花束を渡す。
すると美咲は、俺を見て嬉しそうに言った。
「ありがとう。私、嬉しいよ。」
「何、大した事じゃない。」
「ううん･･･大した事だよ･･････あれ？」
すると、美咲は何かに気がついて、花束から白いカードを取り出した。
俺が書いたメッセージカードだ。
「あ、美咲、それはあとで読んでくれないか？」
俺が頼むと、美咲は『あとで読むね。』と言って、カードを開くのをやめてくれた。
「ありがとう。」
美咲はもう一度、笑顔で、言った。
ふう、と心の中で安堵のため息が出た。
喜んでもらえたみたいでよかった。
嫌な顔されたら、どうするかと心配だったのだ。
「あ、英、私の誕生日にも、花束お願いするわよ。」
「期待しないで待っとけ。」
そう言うと、玲菜は少し眉間にしわを寄せながら、苦笑した。
玲菜の誕生日っていつだっけ？9月の下旬と言うのは覚えているんだけれど。
「さて、美咲手作りの料理を頂く事にしますか。」
「あ、そうそう、これが、ローストチキンで･･･これが･･･」
嬉しそうに、楽しそうに料理を説明する美咲を見て、やってよかった、と思った。

「じゃあな、勇治。明日はゆっくりしとけ。」
俺が言うと、勇治は苦笑した。
「英ぇ～、すこしぐら～い･･･し、しっかり～しなしゃいよ～。」
「何言ってんだか。」
何が言いたいのかさっぱりわからない。
玲菜は顔をすっかり赤くして、勇治に体を支えられている。
あんなに飲むからなんだよ、と心の中でツッコミを入れる。
いつもは凛々しい玲菜も、アルコールの前には太刀打ちできなかったらしい。
へろへろのぺらぺら化している。
「あ～･･･じゃあ、玲菜のこと頼むわな。」
玲菜の事は、勇治に任す事にした。
同じ寮に住んでいるから、ここは勇治に任せておいた方が効率的だ、という判断だ。
わざわざ、俺が送っていく必要も無いだろう。
「任しておけ。じゃあ月曜日な。」
勇治はそう言うと、玄関のドアがパタンと閉めた。
「ふぅ。」
開放感からか、ため息が自然と出た。
案外、パーティーと言われるものは、体力をかなり消費する事が分かった。
いくら好きでも、毎日やっていたら、過労死しそうだ。
まあ、そんな事したら、もう"パーティー"ではないんだけれど。
「･･･」
外から、しっかり歩けよ、という勇治の声と、玲菜の陽気な笑い声が聞こえてくる。
その光景が不思議と頭にありありと浮かんできて、顔がにやけてしう。
相変わらずだなぁ。
にやけながら、リビングに戻ると、美咲はソファーに座って、グラスをゆらゆらと揺らしていた。
「帰った？」
俺が戻ってきた事に気がつくと、美咲はグラスを見つめたまま、そう言った。
美咲はすっかりアルコールが入って、頬を赤く上気させている。
目はとろんとしていて、いつもの雰囲気とはまた違う。
色っぽさが混じった、とでも言うのだろうか。
心の底から、わけのわからない感情がわいてくる。
でも、その感情は、もやもやとしていて、全貌がつかめない。
「ああ、帰ったよ。玲菜なんか、訳の分からない事言ってたな。」
「ふふふ。」
美咲の隣に座って、残り少ないスパーリングワインを、自分のグラスに注ぐ。
さすがに一気飲みをする気は無いので、軽くあおる程度に。
「ねえ、英君。」
「ん？」
「今日は本当にありがとう。」
美咲はそう言うと、俺の肩にそっと体を預けてきた。
「･･･いいよ、礼なんか。」
適度な重みとともに、彼女の温かさが服越しに伝わってきた。
え？とは思ったけれど、避ける気にはならなかった。
むしろ、このまま肩を寄せていたいと思う。
なぜだろうか、とても安心する。
「･･･私、今、とっても幸せ。」
美咲はやさしい声でそう言った。
艶があるその声に、ドキッとしてしまう。
「なんで、英君は私に優しくするの？」
美咲はそう言うと、俺の右手を握ってきた。
温かい。
「･･･」
「･･･それは、いっつも美咲に迷惑を掛けているから。」
俺は少し考えてから、そう答えた。
2年生になる前もそうだったけれど、2年生になって、親がいなくなってからは、特にだ。
美咲のおかげでずいぶんと助かった。
「本当に？本当にそれだけ？」
美咲は潤んだ目で、俺の目を見つめてきた。
その、透き通るような、輝くような目に引き込まれ、再び、ドキッ、と心臓が跳ね上がる。
視線が外せない。
心臓が鼓動を早まる。
手にもっているグラスが落ちそうになり、しっかりと握りなおす。
「･･･」
「･･･」
美咲は切ないような目で、俺の答えを待っている。
どうなんだろう。
どうなんだろう。
自分に自問自答をかける。
幼馴染だから？
クラスメイトだから？
いやいや、それだけじゃないような気がするけれど、よく･･･分からない。
本心が、もやもやとした霧に包まれていて、見ることが出来ない。
「･･･」
「ごめん、今は分からない。」
「そっか･･･」
美咲はまた俺に寄りかかると、呟くように言って、またグラスを揺らし始めた。
中で、赤色の液体がゆらゆらと動く。
俺の心みたいだと思った。
「･･･」
「･･･」
美咲は俺を信用してくれている。
何か答えなければならない。
けれど、どうしても、自分の心がつかめない。
自分で、自分を隠そうとしているみたいにつかめない。
「･･･」
「･･･」
何を言っていいのか分からなくなってしまい、美咲と俺の間に沈黙が流れる。
なんでだろう、なんで、美咲はそんな事を聞くのだろうか。
頭の中に、美咲が言った『それだけ？』という言葉が壊れたレコードのように繰り返される。
「･･･」
分からない。

どのくらい、肩を寄せ合っていたのか分からないけれど、
美咲が沈黙を破った。
「英君。･･･私、眠くなっちゃった。」
目を擦って、眠いのをこらえている。
「送るか？」
このまま、寝せる事は出来ない。
美咲は一人娘だ。帰ってこなかったら両親が心配するだろう。
「うん･･･お願い。」
美咲はふらふらと、ソファーから立ち上がった。
眠さとアルコールのせいか、ふらふらとしている。
「大丈夫か？」
「大丈夫、大丈夫。」
「そうか。」

美咲のうちの玄関前まで来ると、美咲は明るい笑みを浮かべて、言った。
「今日は、楽しかったよ。ありがとうね。」
「喜んでもらえて嬉しいよ。」
「ふふふ。」
俺が苦笑いしながら答えると、美咲はにこにこと微笑みながら、インターホンを押した。
多分、カギが掛かっているんだろう。
数秒ほど待つと、カチリ、とカギの空く音がして、ドアが空いた。
顔を覗かせたのは、美咲の親父さんだった。
「ただいまぁ～。」
「お帰り、･･･ああ、英則君、今日はすまなかったねえ。」
美咲の親父さんは、俺に気がつくと、申し訳なさそうにそう言った。
しばらく、顔を合わせていなかったけれど、相変わらず、温厚そうな顔つきをしている。
美咲は、こんないい親父さんをもって、幸せだろうなぁ。
「いえいえ、とんでもありません。」
手を振りながら、笑みを作ってみせる。
俺は、今回のパーティーで無駄を被ったとは、全く思っていない。
むしろ、利益の方が多かったような気がする。
「ねえ、お父さん、花束貰ったんだよ～。」
美咲は嬉しそうにそう言って、花束をかざした。
「おお、そうか。それはよかったなぁ。」
美咲の親父さんも、笑みを浮かべている。
「じゃあ、これ、お願いします。」
美咲の親父さんに、美咲の荷物を渡す。
「これからも、よろしくたのむよ。」
「はい。」
「英君～、お休みぃ～。」
「ああ、お休み。･･･じゃあ、失礼します。」
俺は、美咲と美咲のの親父さんに一礼をしてから、家を去った。

「あ～ぁ･･･」
美咲を送ってから、家に戻ってくると、現実の凄さがだんだんわかってきた。
皿も洗ってないし、ビンとか、カンが酷いほどではないにしろ、転がっている。
クラッカーの残骸も散乱しているし、ポテトチップスの空き袋も無造作に置いてある。
「明日にでも掃除するか。」
正直、今日掃除する気にはなれなかった。
アルコールが入ったおかげで、手もとがいつもより鈍い。
皿洗いをしている時に、皿を割ってしまう危険性もある。
俺は、床に転がったごみだけを拾い、ごみ箱に入れた。
「はぁ～」
自分の部屋に戻ってくると、一気に疲労がこみ上げてきた。
いくら平然を装っていたとしても、疲労はたまる。
休まなければ、解消できない。
「･･･」
服を脱いで、寝巻きを着てから、ベットにもぐりこんだ。
寝るまでの数分間の間、今日の出来事が思い起こされる。
朝から張り切って準備して、花屋さんに行って恥かしい思いをして、
美咲と買い物に行って、支度の手伝いをして･･･
ダメだ、出来事の整理は夢に任せよう。
あまりにも起きた事が多すぎる。
お休み･･･
･･･
･･････
･････････
俺はたしか、美咲へのメッセージカードにこんな事を書いた。
『美咲へ
いつもいつも、迷惑ばかりかけて申し訳ない。
俺は、美咲がいるおかげでずいぶん助かってるよ。
美咲がいなかったら、俺はどうなっていたか、家はどうなっていたか、想像すらつかない。
美咲は、いつも手作り料理を作ってくれた。
本当に嬉しかった。美味しくて、温かかった。
俺は、それのおかげで疲れているときも、がんばれたんだと思う。
俺は、バカだし、自分のことすら出来ないけれど、
これからも、見捨てないで見ていてほしい。
いつもいつも本当にありがとう。

英則より

『17歳の誕生日、おめでとう、美咲。』

』

初版完成日
2004/03/25 02:45

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