身近にある絆第八話

身近にある絆(第八話)

なんか、頭が重い。そう感じていた。
でも、土曜日になり、学校が一段落すると、あんまり気にならなくなった。
「あ～あ。」
背伸びをしながら、和室のふすまと窓ガラスを全開にすると、ぽかぽかという表現を超越した光が差し込んできた。
フローリングで作られた縁側と相まって、なんとも風情がある。
もうそろそろ梅雨に入るなぁ、という時期なのに、
雲は太陽の核融合をさえぎることも無く、光を地表に届かせている。
「去年は、みんなでスイカ食べたんだよなぁ。」
去年のことを思い出し、思わず口元がゆがんでしまう。
面白かったなぁ。

まず、家の中の窓という窓を全開にし、太陽光を取り入れ、空気の入れ替えをする。
まともに窓を開けていなかったので、空気がよどんでいると思ったし、
家中に光が差し込むと、それなりに気分がいいものだ。
「さてさて。」
全自動洗濯機といわれる物に洗濯物を突っ込む。
水量を高に設定して、標準モードを選ぶ。
傷つきやすいものとか、色落ちしやすいものは入っていないはずだから、これでいいだろう。
じゃーと水が注水されるのを見届けてから、洗濯機の前を離れた。

洗濯の後は、掃除だ。
まずは自室から片付けるとしよう。
ガチャと部屋のドアを開ける。
「あー･･･」
言葉を失ったとはこのことを言うんだろう。
自分の部屋ながら、何でこんなに散らかってんだ？と不思議に思う。
自分でこんなにしててからによく今まで平気だったもんだ。
散らかった雑誌を集めて、要らないのと要るの、危ないのそうでないのに分ける。
要らないのは廊下において、要るのは棚に置き、危険物は本棚の上のダンボールに突っ込む。
どこをどう片付ければ効果的なのかを考えながら、散らかった部屋を片付けていく。
「ん～」
がさがさ、ごそごそ、と分類をして、しばらく経つとやっと満足の行く状態になった。
「あとは、掃除機をかけて、布団を干せばいいか。」
腰に手を当てて言う。我ながら感心だ。
ベットの上にある布団を豪快につかんで、ベランダに持っていく。
窓から出るのが結構大変だったりする。
「う～」
口からうめき声が知らず知らずに出てしまう。
ベランダに出て、柵に布団をかける。
掛け布団、敷布団、タオルケット。
シーツはもう洗濯機の中だから問題なし。
「ここはこれでよし。」
一人で勝手に納得して、次の作業に移った。

「掃除機掃除機･･･」
それが、現代の掃除に欠かせないものである。
ないと、掃除をまともにしたことが無い男にとっては、大変なロスになる。
「無い、無い。」
がらがら、ごそごそ、バタン、どだどだと音を鳴り響かせながら、家中を探す。
何だ何だ？
と思うぐらいの騒音レベルだ。
探しながら、自分は空き巣か？と思ってしまった。
「ん～」
親父は掃除機を持っていっていないはずだ。
となると、一体どこにあるんだ？
階段の下･･･だっけか？
しばし考えていると、パッとひらめいた。
ダダダダと階段を駆け下りて、階段下の収納スペースをバカンと開く。
「あった、あった。」
電球の光を受け掃除機がぼわっと浮き上がっている。
探し回っただけあって、掃除機がいとしく感じる。
壊れるなよ～、買い換える金まだ無いんだから。
そう願いながら、掃除機を引っぱり出した。
･･･
･･････
自分の部屋から順々に掃除機を掛けていく。
いつもはほうきを使うので、掃除機をかけるのも久しぶりだ。
ゴゴゴゴ、ガガガガ、ゴォーーという音が、部屋中に響く。
ただ、窓を開けているだけに、こもった音はしない。
ガガガガ、というその音が、ああ、一人暮らししてるんだな、と思わせる。
いつもなら億劫に感じる掃除も、これからは自分で管理していかないと、と思うと、自然と嫌な気はしなかった。
むしろきれいになっていく部屋を見ていると、爽快感すら覚える。
「ん～ん～」
しばらくの間、鼻歌を歌いながら掃除機をかけた。

親父と母さんの部屋以外の全ての部屋に掃除機をかけて、やっと休憩できた。
どうもたまった埃ばかりが目に入り、エンジンが止まらなかった。
「あ～、疲れる。」
リビングのソファーに座り、寄りかかりる。
母さんは毎日こんな事をしていたのかと、感心してしまう。
俺なら週一回が限界だ。
体がついていかない。
「ふう･･･」
深く息をしてから、心地よい疲労に身をゆだねる。
家の中をを吹き抜ける風が、汗のかいた肌にあたり、なんとも心地よい。
窓の外では、かっこう、かっこうとホトトギスが鳴いている。
「のどかだねぇ。」
かさかさ、と風が庭にある木の枝を鳴らす音が聞こえてくる。
車のエンジン音さえなかなか聞こえない。
そういえば、この家の前の道が舗装になったのも数年前だっけ。
親父も、こんな郊外に家を建てて正解だったと思う。
都会なんかうるさくてうるさくて、こんなゆっくりしていられない。
「ん？」
テレビを見ると、画面に反射して自分の姿が映っていた。
頭に三角のバンダナを載せているから、これにエプロンでもつければ、主夫の完成だ。
少なくとも、見かけだけは。
「ん～･･･」
思い立ったが吉日だ。
たしか、家庭科の時間に作った水色でチェック模様のエプロンがあったはずだ。
タタタタと階段を駆け上がり、自室に飛び込む。
「えっと･･･」
どこだっけかな、とがさがさと引出しをあさる。
「ん～」
洋服が入っている引出しを開けると、下のほうにそれが入っていた。
ぱっと開いてみる。
「まあ、派手でもないからこんなもんでいいな。」
赤とか、黄色とかはちょっと苦手だ。
ところで、どうやって付けるんだっけ。
･･･
･････
四苦八苦してやっと装着することに成功。
結び目が背中にあるから、慣れるまでは着るのが大変そうだ。
そんなに着ないだろうけど。
さて、問題はどういうふうに見えるかということだ。
似合わなければ速攻ではずして、封印しておこう。
たしか、母さんの部屋に全身鏡があったはず･･･。

「なんとも言えんな。」
鏡を前にして一言。
鏡にはエプロンを身につけ、頭にバンダナを載っけた男が映っている。
むむむ、と唸りたくなるほど似合っている。
何でここまで似合っているんだろう。
恐ろしいぐらいだ。
しかし･･･やっぱり、なんとも言えない。
ドアをパタンと閉めて、外に出ると、はぁ～、とため息が出た。
世の中は恐ろしい。
階段を下りようとすると、ピンポーンピンポーンとインターホンの音が聞こえた。
「英く～ん？」
ついでに、聞きなれた声も。
「お昼のお裾分け持ってきたよ～･･･居るの～？」
間のびしたような、美咲の声が聞こえる。
考えるより先に体が動いていた。
ダダダダ、と豪快に音を鳴らし、階段を鬼神のごとく駆け下りる。
おお、久々に手作り料理が食えるぞ。
これを逃してはならないっ！
「あぶねっ。」
床に足を取られそうになる。
靴下履いてるから、グリップが効かない。
「おお、美咲、わざわざ悪いな。」
こけそうになりながら、美咲に話し掛ける。
美咲は、ラップをかけた少し大きめの皿を持っていた。
ラップの中に狐色の物体が入っている。
何だろう。
「･･･」
「ん？どしたの？」
様子がおかしいので、顔を覗き込むと、奇妙なものを見たようにポカンとしていた。
そんなに変なものなんかあったか？
「おーい。」
「あ。」
手を目の前で振ってやると、やっと復活した。
美咲はしげしげと俺を見ている。
「ん？」
「エプロン似合ってるね。」
「は？」
何を言い出す。エプロンなんて付けてるはずが･･･
「うわ。」
自分の姿を見て、あぶなくひっくり返りそうになった。
美咲の声と、お昼、お裾分けという言葉に反応してしまい、
エプロンを付けていたことを、すっかりうっかり忘れていた。
あ～･･･こっぱずかしい。
「朝から何かやってるなぁ、と思ってたんだけど、掃除してたんだね。」
「あ、ああ。埃っぽかったからな。･･･まあ、上がってくれ。立ち話もなんだから。」
エプロンを脱いで、強制的に話を曲げる。
赤面しそうでしかたがない。
「お邪魔しま～す。」
美咲はそう言うと、とことこと俺の後について上がってきた。
「まあ、そこいらに座っててくれ。」
「じゃあ、これね。」
美咲の手から、お昼のお裾分けというものをいただく。
ラップをはがして、中を見ると、狐色の料理が入っていた。
「おお、美味そうないなり寿司。」
狐色の油揚げが食欲をそそる。
見ているだけで、涎が出そうだ。
「嬉しいねぇ･･･ありがたく昼飯としていただくぞ。なんか飲み物いるか？」
「じゃあ、お願いしようかな。」
美咲はいつものようにソファーに座った。
嬉しそうに俺の様子を見ている。
キッチンに美咲からもらったいなり寿司を置き、冷蔵庫から烏龍茶を取り出す。
「でも、いいもの見ちゃったな。」
「何を？」
「英君の･･･エプロン姿。」
危なくペットボトルを落としそうになった。
慌てて、しっかりと握りなおす。
「勘弁してくれよ。」
俺が顔をしかめると、美咲はふふふと可笑しそうに笑った。
「似合ってるのに。」
「そ、そうか？」
「うん。主夫って感じで。」
「くっ！」
また、ペットボトルを落としそうになった。
どうやら、俺が感じたように、美咲もあの姿は"主夫"と思うらしい。
冷や汗をかきながらも、ガラスコップを食器棚から二つ取り出す。
「ところで、昼飯は食べたのか？」
いつまでも主夫の話を引っ張られると、さすがに気が変になりそうだったので、別な話題を出す。
「うん。もう1時だしね。」
ちらっと腕時計を眺める。
「もうそんなに経ってたか。」
かなり集中して、掃除してたらしい。
たしかに、腹も減ってきている。
「気がつかなかった。」
とくとく、とコップに烏龍茶を注ぎ、ペットボトルに入った烏龍茶は冷蔵庫に戻す。
「はい、どうぞ。」
美咲にコップを渡し、もう一つを一気に飲み干す。
すると、冷たい烏龍茶が熱くなった体を一気に冷ました。
あ～、168円の烏龍茶がいつになく美味く感じる。
「ところで･･･明日、空いてるだろうな？」
溜めを置いて、そう切り出した。
「空いてるよ。空けておけって言ったの英君でしょうが。」
「おっと、そうだった。」
「どこでやるんだっけ？」
「県庁所在地だから、ここから電車で30分強ってところだな。」
「往復で1000円ぐらいだね。これじゃ普通に映画見るのと変わりないね。」
「たしかに。」
はははと二人で苦笑いをする。
言われてから気付いた。
いくら試写会のチケットが当たったからとはいえ、
会場まで行くのに金がかかっては全く嬉しくない。
無料で観れる魅力半減だ。
「まあ、明日10時出発ということで。よろしく。」
「いえいえ、こちらこそ。」
なんとなく、頭を下げてしまい、顔を見合わせてしまう。
「･･･」
「･･･」
「ぷっ･･･ははは。」
「ふふふ。」
自分の行動が可笑しくて、可笑しくて、一緒に大笑いしてしまった。

学校の噂話、部活の話など、いつものような取り止めの無い話をしていたのだけれど、
気がつくと美咲が来てから一時間以上経っていた。
美咲は、掃除の邪魔をすると悪いから、とか言って、帰っていった。
美咲が帰った後、いなり寿司をいただいたのだけれど、
これが、美味い旨い。
そう思いながら、食べている時、美咲が『自分で作った。』と言っていた事を思い出して、
ああそうかだからか、と妙に納得してしまった。
ジューシーな油揚げと、具の入ったご飯が絶妙な味をかもし出していて、
機会があればまたぜひ食べたいものだ、と思った。
5分と経たないうちに空っぽになった皿を見て、ふと、洗濯機のことを思い出した。
洗濯機のスイッチを入れたのが8時半ごろだから、かなりの間ほおって置いた事になる。
「乾燥機能付の洗濯機が欲しい。」
と、そんな贅沢なことを考えてしまった。
あと10年も経つと標準機能化するだろうけど。
二階のベランダに、洗濯物を干す。
日の入りまでに乾くだろうか、それが心配だ。
まあ、このぎんぎらに輝く太陽に任せておいとけば大丈夫だとは思うけど。
いや、思いたいけど。
「よし。」
午前中やるはずのものを午後やって、満足げに『よし。』と言う。
なんとも、奇妙な光景に違いない。

今日、やると予定していたものは全て終わらた。
掃除、洗濯、皿洗い。
たいした量ではないのだけれど、体が慣れていないため、とにかく効率が悪い。
ベテランの人のエネルギー効率を90％とするなら、
自分は30％に届くか届かないかだろう。
「疲れる。」
何回言ったか分からない台詞をまた言う。
親父に聞かれたら、『そんな事で何へたってんだ！』って怒鳴られそうだ。
ソファーに寄りかかると、一気に睡魔が押し寄せてきた。
なんで、こんなに眠いんだろ･･･
あ～ぁ、眠い･･･。

･･･
･･････
「じゃあな、英。」
「英、じゃあね。」
「英君･･･さようなら。」
背筋がぞわっとした。
なぜそんなことを言うのだろう。
友人たちが、口々にそんなことを言っている。
訳がわからない。
なんで？と聞こうとしても、みんなは行ってしまう。
聞こえていないのか、それとも声が出ていないのか。
だんだん、みんなとの距離が離れていく。
しだいにあたりが闇に包まれる。
気温が下がっていく。
追いつこうと、必死で走りだす。
『待ってくれ！』
『俺を置いていくなっ！』
走っても、走っても、走っても前に進まない。
エスカレーターを無意味に逆送しているかのようだ。
まるで、超えられない壁があるように、距離が開いていく。
黒い空間だけが周りを包み、白い光を纏った彼らは行ってしまう。
寒い･･･冷たい･･･
冷たい･･･寒い･･･
「さよなら･･･。」
弱々しい美咲の声が木霊してから、俺の光は、真っ黒で冷たい氷のような空間に閉ざされた。
なぜ･･･
そうつぶやく暇も無く、真っ黒な空間はやがて無になった。

「！」
慌てて跳ね起きる。
心臓がばくばく言っている。
周りを見渡すと、そこは自分の家だということが分かった。
「はぁ･･･夢か･･･。」
まったく、たちの悪い悪夢だ。
夢だったという安心感から、肺から息がもれる。
「ん？」
回りを再度確認して、あれ？と思った。
閉めた記憶が無いのにカーテンは閉められているし、
つけていないはずの蛍光灯まで灯っている。
それに、いつもなら人気の無い冷めた空気なのに、あたたかい。
足元を見ると、毛布を掛けられていた事に気がついた。
誰だろう？
そう思った時･･･ぱたぱたとスリッパの音がした。
「起きた？」
声のした方を向くと、美咲が薄いピンク色のエプロンを身に付けて、立っていた。
『さよなら･･･』
さーっと風のように先ほどの悪夢が頭をかすめた。
邪念を振り払うように、頭を振る。
「来てみたら、寒そな格好して寝てるんだもん。･･･風邪引いたらどうするの？」
俺の変な行動をものともせず、
美咲はあきれたような、そうじゃないようなやさしい声でそう言った。
彼女のあたたかかい目が俺を見ている。
「あと、キッチン借りてるよ。」
「え？」
確かに先ほどから美味しそうな匂いがしているし、
ことこと、と何かを煮ているような音がする。
「英君、最近元気なかったでしょ、だから美味しいもの食べさせてあげようと思って。」
その言葉を聞いたとき、俺は思わず目頭が熱くなった。
確かに最近、自分でやらなければならない範囲が広くなり、疲れていたのは確かだ。
多分、さっきの夢も疲れが原因なのかもしれない。
でも、なんで美咲は分かったんだろう。
俺は、極力疲れを表に出さないように気をつけていたはずなのに。
それを見抜いていたのか？
･･･こんなに、俺のことを心配してくれた人がいたなんて気がつかなかった。
「･･･」
思わず、目頭を押さえてしまう。
最近はどうも涙腺がもろくて仕方が無い。
「どうしたの？」
美咲が顔を覗き込もうとする。
ダメだ。
「ちょっと･･･悪い。すぐ戻るから。」
「そう？」
俺は逃げるようにリビングを後にした。
リビングのドアを閉めたと同時に、一筋の涙があふれた。
悲しさからくる涙じゃない。
ただ、美咲に涙を見せるわけにはいかなかった。
それに、あれ以上、あの場所にいたら、美咲を抱き寄せてしまっていたかもしれない。
そんなことをしてしまったら、確実に嫌われるだろう。
それだけは避けたかった。
いつもいつもすまない･･･。
そう心でつぶやきながら、頭を冷やすために俺は家を出た。

人気の無い公園のベンチで空をぽーっと眺める。
起きがけの体に風があたり、冷たく感じる。
「頭を覚ますにはちょうどいいな。」
そうつぶやき、ふぅと息を吐き出す。
空は輝く幾億の星星。
もし、これが無くなってしまったらどう思うだろうか。
夜空は真っ黒になる。
こうやって、空を見ることも全くの無意味になるだろう。
見上げた空には、真っ黒に染まる暗黒の空間しか映らないのだから。
"身近にあって、当たり前。それが無くなった時に、人間は初めてその大切さを知る。"
これは、世の中の定説だ。
灯台の元暗し、ということわざもある。
でも、"あって当たり前のもの"はその特性ゆえに、気がつきにくい。
ただ、俺はさっき夢を見て"あって当たり前のもの"が分かったような気がした。
それは、友達、両親、などなど挙げれば切りが無いのだけれども、
とくに『あっ』と思ったのは、美咲だった。
昔から、いつも側にいて、いるのが普通だった。
いなくなった時の事など、考えた事すらなかった。
気がつくと、いつもいっしょに登校していたし、
勉強などで分からないところがあれば、美咲美咲だったような気がする。
でも、もしその美咲がいなくなってしまったらどうなるだろう。
どこか遠いところに行ってしまい、二度と合えなくなったら。
俺のことにあきれて、素っ気無くなってしまったら。
「･･･」
そう考えると、背筋がピキッという音を立てて凍り付いた。
風が一段と肌寒く感じる。
ふと、視線を移すと、木の間から、俺の家の光が見えた。
もれているのは、冷たい光じゃない。暖かい光だ。
『美咲にやさしくしないとな･･･』
そう思った。
人間、いつどうなるか、誰にも分からないのだから。

家に入ると、美咲に『遅かったじゃない。』と怒られてしまった。
頬をぷくーっと膨らまして、怒る姿はどことなく説得力に欠けていた。
それが、逆に可愛らしくて、思わずまた頬をつねってしまった。
イスに座ると、エプロン姿をした美咲が話し掛けてきた。
「今日はね、チキンカレー。結構手間がかかるんだけど、おいしいからあとで作り方教える？」
そのやさしい眼差しに、思わず体が勝手に反応しそうになる。
それを理性で強引に押しとどめ、いつものように話し掛ける。
「お、そりゃ美味そうだな。」
「でしょ？まず食べてみてね。」
「ああ。」
すると美咲は、キッチンの方に戻っていった。
しばらくすると、ことんと目の前に皿が二つ置かれた。
見た感じ、コンソメスープと、チキンカレーに見える。
コンソメスープは、薄く透き通っていて、野菜が適度な大きさに切られ入っている。
カレーの方は、一見すると普通のカレーだ。
違うのは、野菜などの具が無く、ごろんと大きめの鶏肉が入っていることぐらいか。
「おー･･･美味そう。」
圧倒されて、思わずため息が出てしまう。
よく、ここまで･･･と。
「じゃあ、私も頂くね。」
美咲も自分の分を持ってきて、俺の向かい側に座った。
「頂きます。」
「はいどうぞ。」
美咲はニコニコと俺のほうを眺めている。
「･･･」
美咲の視線が妙に気になるが、気にしないで食べることにしよう。
チキンカレーを一口口に運ぶ。
「･･･」
ゆっくり咀嚼すると、鶏肉の旨さと、カレーの辛さが見事なまでにマッチングした味が伝わってきた。
どうしたら、ここまでの物が作れるのだろうか。
美咲はそうとうがんばったに違いない。
「どう？」
上目遣いで、様子をうかがうように聞いてくる。
これは、あきらかに不味くても、旨いとしか言えない状況だが、
少なくとも、美咲が作ったこの料理は、不味いといえる味とは程遠い。
「ああ、美味しいよ。」
「本当？嬉しいなぁ。初めて作ったから、ちょっと心配だったんだよ。」
「･･･」
思わず、美咲の目を覗き込んでしまう。
とても初めてには思えない出来なんだけれど･･･
どうなってんだ？
潜在的技術力の差というやつだろうか。
「う～ん･･･たまねぎが足りなかったのかなぁ。」
美咲は、自分で作った料理を口に運ぶと、完璧とも思える料理に自らネガを入れた。
『こだわってるねぇ。』
そう思わずにはいられなかった。
「また作ってくれるか？」
「うん。」
俺が聞くと美咲は元気に頷いた。
美咲が作ってくれた、料理はいつも美味い。
ただ、今日作ってくれたチキンカレーは、いつも以上に美味しくて、
なんだか、涙が出そうになった。

「ん～。」
窓を開けて、光と空気を取り入れる。
今日も天気は最高だ。
東から斜めに照りつける太陽。
朝とは言え、日差しは強い。
空は、昔見た運動会の日のように澄み渡っている。
いつも聞くすずめのさえずりさえも、心地よい。
昨日のシリアスさは何処へやら、今日はなんとなく気分がいい。
体も軽く感じる。
服をパパパッと着替え、身なりを整える。
紺のジーンズに、黒のTシャツ、ジャケットでいいよな。
オーソドックスが一番だ。
「こんなもんでいいだろう。」
洗面所の鏡の前に立って、一人で納得する。
今日は美咲と映画を観に行くという予定が入っている。
いくらパッとしない俺だからといって、ぼさっとした格好で行くわけにはいかない。
みっともないし、美咲に失礼である。
ところで、何でこんな朝早くから準備してるんだろう。

朝食を食べてから、約束のまでの時間をもてあそぶ。
「･･･」
財布の中身が気になり、中身をちらっと確認する。
福沢諭吉が1枚と新渡戸稲造が1枚、それに夏目漱石が6枚ほど。
「このぐらいあれば十分だろ。」
電車賃は往復で1500円ぐらい、向こうで何をやるにしても十分なぐらいだ。
100円カップめん＋168円烏龍茶という超偏った生活を送ってきた甲斐はある。
まあ、ようはこのぐらいの金額を維持すればいいだけの話だけれど、
親父が『月の頭に現金書留で送ってやる』と言ってたから、
あとしばらく経てば、諭吉さんが数枚ほど届くだろう。
「･･････」
にやにやと顔がにやけてしまう。
自分で使い道が決められるとはなんと嬉しいことだろうか。
制限を受けるのは確かだが、その制限をクリアできれば、いい事ずくめだ。
あと、夏になると出費も多いだろうから、それまでに5万程度は貯めておきたい。
夏生まれの俺にとって、夏は活動期。
心も体も全開にできるから、待ち遠しい限りである。
「ん～･･･」
腕時計を見ると、10時まではまだ1時間以上ある。
今の問題は、金ではない、この時間をどう過ごすか。
さて、何したものか。
･･･美咲に連絡とってみようか。

部屋のドアを開けると、埃っぽい空気が廊下に流れ出した。
思わず顔をしかめてしまう。
「換気扇を付けろよな。」
･･･というか掃除しとけよという話なのだが。
「あー、歩きにくい。」
俺は二階の物置とも言える部屋にいた。
3畳のスペースにありったけの荷物が置いてある。
足の踏み場も無いとはこのことだろう。
「掘り出し物でもありそうだ。」
そんなことをつぶやきながらも、ダンボール等をどかして窓に向かって突き進む。
軽い物から、極端に重い物まで、様々ある。
意味不明の部屋だ。
ゴホゴホと咽ながらも、窓に到達した。
き～という嫌な音を聞きながら、窓ガラスを開けた。
ついでに雨戸も開ける。
「は～～。」
肺にたまった埃を取り払うように深呼吸する。
「空気が美味い。」
ここまで空気が美味く感じたのは久しぶりだ。
さて、俺の目の前には、美咲の部屋の窓が見える。
距離にして、5～6mほど。
声をあげれば、聞こえる距離だろう。
おもちゃのバネ銃の銃口を窓ガラスに向ける。
コツは、少し上を狙うことだ。
「･･･」
パンというバネの音がして、発射された弾は、
放物線を描きながら目標物の窓ガラスにコツンと当たった。
『よし。』と心の中でガッツポーズをする。
「･･･」
すると、1秒も経たないうちに、美咲がレースを除けて顔を出した。
「よっ。」
手を軽くあげる。
「どうしたの？急に。」
美咲は、突然の襲撃にもかかわらず、普通に反応してきた。
「いや、準備できてるかなぁ、と思ってな。」
「私は準備できてるけど、まだ、一時間以上あるよ。」
「準備できてるんだったら、･･･行くか？」
「そうだね。早くても問題ないし。」
そう言うと、美咲はにこっと笑って、引っ込んでいった。
しかし、突然なのに驚かないとは。
･･････もしかして、俺の行動パターン読まれてる？

6月の日差しの下、家の前で美咲を待っていると、
美咲は白いヘアバンドを頭につけて、ひょこひょことやって来た。
水色のチェック模様のワンピースを着ている。
色柄的には、昨日俺がつけていたエプロンとそっくりだ。
狙ってやってるのか？
そう聞きたくなった。
「どう？似合うでしょ。」
美咲はくるくると俺の前で回った。
シンプルなチェック模様が、素材の良さを引き出している。
服が体に似合うとはこの事なのだろう。
洋服はいわば調味料だと思う。
無ければそっけない、多すぎればうるさい。
果物のように、無ければ無いでいい物もあるけれど、
多すぎるというのは自分を誤魔化している以外の何ものでもない。
美咲は自分で自覚しているのかどうか分からないけれど、
自分と調味料である洋服のバランスが取れていると思う。
かざりっけが無い･･･という事は元が良いという事なのか？
まあ、比べられる物があまり手短に無いから比較のしようが無いのだけれど。
「似合ってるよ。」
俺が思考を深読みされないように軽くそう言うと、
美咲はくすくすとと可笑しそうに笑い、俺に背中を向けて歩き出してしまった。
セミロングの黒髪が歩調に合わせてさらさらと動く。
美咲の後を追いながら話し掛ける。
「なあ、美咲･･･俺の考えてることって分かりやすいか？」
「うん。」
即答かよ･･･なんか傷つくな。
読みにくく、分かりにくい行動を心がけてるはずなんだけど。
「考えてることがなんとなく分かるだけだよ。さっき窓から話し掛けてきたでしょ？」
俺の考えがまた読めたのか、そんなことを言ってきた。
ああ、と頷く。
「あの時もね、なんとなく来るかな･･･って思ったから。」
「超能力？」
疑問の声で聞く。
「まさかそれはないでしょ。だって英君以外あんまり分からないから。」
カチンと背中がが鳴ったような気がした。
思わず眉を吊り上げる。
美咲、それは俺の行動しか読めないと言うことなのか？
かなり恐ろしいぞ。
「それにしても、ああやって話すの久しぶりだったね。」
美咲は物思いにふけるように言った。
言っているのは、さっき俺が窓から話し掛けた事だろう。
そう言われて、俺も昔のことを思い出す。
「たしかに、懐かしかった。」
俺は何かがあればあのコンタクト方法をとっていた。
堂々と美咲の家の門を叩く勇気が無くて、あんな手の込んだことをやってたような気がする。
今、考えると、そんなこともやってたんだなぁ、と懐かしく思う。
ところで、何で俺はそんなことまでして美咲と話したかったんだろうか。
俺は昔から友達が特に多いというわけではなかったけれど、少なくも無かった。
外に出る気になれば、どこへにでも行けたような気がする。
不思議だ。
「ようは気分だ。」
「そういうもの？」
「ああ。」
適当に言うと、美咲は理解できない様子だった。

俺は乗り物酔いしないものがこの世に2つほどある。
少なくとも現時点では。
一つ目は、電車、新幹線などの列車。
これは酔ったという記憶が全く無い。
二つ目は、フェリーなどの小型船。
大型船はダメだった。40分でゼブラゾーンに突入し、1時間でレッドゾーンに入る。
その後の事は、想像すらしたくない。
そんなことを考えながら、カタンカタンと規則的な振動に身を任せる。
時間が時間だけに、5両編成の電車はかなり空いていた。
赤字にならんのか？と不思議に思ってしまう。
「きれいだな。」
窓から外を海を眺めると、カモメが優雅に飛んでいるのが見えた。
心地よさそうに風に乗っている。
海は太陽を反射してきらめいている。
柄にも無く、各駅停車の旅も悪くは無いな、と思った。
ゆっくりこんな考え方が出来るのも、酔いにくい電車に乗っているせいどう。
「ねえ、ねえ、着いたらどこに行こうか。」
「あ～？」
顔を美咲に向ける。
「そんな間抜けのような顔しないでよ。」
美咲は困ったように言った。
「おっと、すまない。」
慌てて顔を叩く。
ぼーけーっとしてたから、顔がゆがんでたか。
「向こうに着いたらどこに行く？」
美咲は楽しそうに笑っている。
そんなに都会に行くのが好きなのか？
「ん～･･･時間あるしな･･･」
映画館･･･と言っても、今から観にいくわけだし、公園･･･と言っても、家の前に立派なのがあるし･･･。
遊園地？美術館？カラオケ･･･ゲームセンター･･･
あまりに平凡すぎる事に気がつき、う～んと唸ってしまう。
「街中歩いて見るか？」
更に平凡だ、と言う自分の心はだましておく。
「それもいいね。めったにこれるものじゃないし。」
ちょっと田舎の人っぽいけど、と付け加えて美咲は微笑した。
実際そうなんだから、どうしようもないんだなぁ。
「こうやって、英君と出かけるのも久しぶりだね。」
「ああ。」
しばらくすると、美咲は鼻歌を歌いだした。
どこかで聞いたような曲である。
「ん～♪ん～～♪」
そもそも俺は何で美咲を誘ったんだっけ。
上機嫌で窓の外を見ながら歌っている美咲を見ながら、そう思った。

電車を降りて、街の中を歩いてまわる。
クラクションの音、車の轟音、ビル、大型デパート、
何もかもが都会である。
物珍しさに、きょろきょろと首を動かしてしまい、
はたから見れば、一発で田舎人だと分かるだろう。
でも、そんな事を気にしていたら、一生、街には出られないと思う。
時刻が時刻ということで、会社員の姿はあまり見られない。
「ねえねえ、ここに入ってみない？」
美咲が指を指したのは、有名な大型ショッピングデパート。
健也の話によると、大型なだけに品揃えがいいらしく、おすすめだそうだ。
「だな。まだ時間あるし。」
試写会の13時まで、まだ3時間もある。
まあ、それまでゆっくりしようでないの。

わあ、わあ、と安さに驚きながら、俗に言うウィンドショッピングをした。
美咲は、衣類コーナーで、どれがいい？どれがいい？と俺に聞いてきたのだけれど、
ファッションセンスがかなり薄い俺から見れば、どれがいいのか分からない。
一応、合いそうなのを選ぶと、美咲はそれを片手に、上機嫌な様子で会計を済ましてしまった。
驚くような高い買い物ではないものの、手に店の紙袋を提げて、
上機嫌にいる美咲を見ていたら、思わずこっちまで嬉しくなってしまった。

腹が減ったなぁ、と思って、腕時計を見ると11時半ごろだった。
どうりで腹がすくわけだ。
と、一人で納得しつつ、あることを提案する。
「そろそろ、昼飯にでもするか？」
「そうだね。そろそろ昼になるでしょ。」
「ああ。」
「どこで食べる？」
さて、ここで選択肢が出るわけだ。
混んでいる事を覚悟でレストランやファミレスに行くか、
それとも、食品売り場で適当に買って、公園などで食うか。
リッチさ加減はかなり違うけれど、時間とコストの兼ね合いもある。
現実は所詮こんなものだ。
「さて、どうする？」
美咲にそのことを話すと、どっちでもいいという返事が返ってきた。
う～む、と考え込んでしまう。
少しぐらい、高いところで食うのもいいけど、
この世の中、考え方一つで物事変わる。
今はまだ夏という気温じゃない。
地獄のような暑さになるのはまだ先だ。
なら、清々しい空を見ながら、外で食べるのもいいじゃないか。
少なくとも、レストランでは味わえない醍醐味がある。
「天気いいから、外で食べるか？」
「そうしよっか。」

おにぎりやサンドウィッチ、飲み物、等を買ってから、3時間ぐらい居た、デパートを出た。
空を見上げると、雲がぽつぽつと見えるくらいだった。
いい天気だ。
ただ、都会独特の空気を感じた。
「やっぱり、本当の街は違うね。」
「全くだ。」
まったくをもって同感だった。
本当にいろいろな違いについては驚いてしまう。
格が違う。
それに、人が多い。
こうやって見ているだけでも、かなりだ。
目が回ってもおかしくは無い。
「服類だって、国産なのに安いよ。」
俺は音響機器メーカーのMDコンポが気になった。
前々から狙ってたのが、45,000円。
金あれば買うんだけどな。
「また来たいね。･･･今度も、一緒にきてくれる？」
「暇と金さえあればな。」
そう言うと、美咲は嬉しそうな顔をした。
何で美咲はその程度のことで嬉しそうに笑えるのだろうか。
よく分からない。
ま、暇があれば来るか。
いっつも暇だけど。

「ごゆっくりどうぞ。」
映画館の入り口付近で、チケットを見せると、やさしそうな女の人が、笑みを浮かべながら
チケットを切ってくれた。
ついでにパンフレットを渡される。
「やっぱり、こういう仕事って大変なんですか？」
「ええ、大変なものよ。」
好奇心でなんとなく俺が聞くと、彼女は苦笑しながらそう答えた。
ガラの悪い客もいるだろうし、ずっと笑ってなきゃいけないんだもんなぁ。
やっぱり、接客業はリスクが高い。
俺には無理だ。

館内はまだほのかに明るく、照明が灯っていた。
「前の方に座ろうか。」
「そうだな。」
美咲の提案を受け入れて、前から数列目のところに座る。
昼食を摂ってすぐ来た為か、ちらほらとしか人影が見えない。
こうやって、好きな場所に座れたのだから、
早く行こう、と言った美咲の判断は正しかったと言うことになる。
相変わらず、ぼけっとしてる割に頭いいからなあ。
「ふう。」
館内の静けさに身を任せると、自然とリラックスできた。
外はどうもこうも騒がしすぎて、疲れる。
俺の隣に座っている美咲を見ると、先ほど渡されたパンフを熱心に見ていた。
俺に見られていることに気がつくと、美咲は顔を上げた。
「話では聞いていたけど、面白そうだね。」
「それだけ頭も使いそうだけどな。」
「英君なら、大丈夫でしょ。」
「どうだか。」
自傷するように言うと、美咲はくすくすと笑った。
そんなに可笑しいか？
「結構キャストが豪華らしいよ。」
「ほう。」
肯いてはみるものの、キャストが悪くたって、演技がうまけりゃいい物ができると思う。
「美咲はやってみたいと思わないのか？」
「私？」
美咲は自分を指差した。
「ああ。演劇部なんだから、それなりには出来るだろ。」
ビデオカメラを使って、ドラマを作るのも面白いかもしれない。
カメラマンは健也に任せて。
「私は主演とかはとてもじゃないけど無理。どうしても出てみて、って言われたら、主演より味のある脇役の方がいいかな。」
なんとなく分かるような気はするけど、美咲が主演をやったら面白いだろうな、と思う。
玲菜を敵の女スパイにしてみたり･･･
玲菜が黒服のスーツを着ている姿を想像して、思わず笑いそうになる。
案外似合っているかもしれない。
しかし、そこまで行くと、ドラマじゃない。
映画だ、映画。
美咲とそんな事を話しながらすごしていると、あたりが暗くなり、映画が始まった。

･･･
･･････
･････････
映画は3時間近くだったけれど、長さを感じない内容だった。
座りすぎて、固まりかけている足を動かして、他の客にまぎれながら外に出る。
「うわ。」
外に出ると、日光の強さに思わず、目を覆ってしまう。
館内があまりにも暗かったため、目が明るさになれていない。
瞬きを数回したところで、やっと目が明るさになれた。
「面白かったなぁ。･･･そう思うでしょ？」
美咲はラストの感動を思い返すように言った。
「全くだ。しかし、よくあんな話思いつくよな。」
「本当。」
「また、チケットでも当てるか。」
「ふふ、さすがにそれは無理じゃない？」
「無理ではない。人間努力すれば･････････いや、無理そうだな」
俺が開き直ると、美咲がくすくすと笑っていた。
「いやいや、志は大きく持て、だ。次の目標は、日本列島一週の旅。」
自分で言ってから、ふと、気がつく。
日本列島狭しといえども、南北に長い。
おまけに、観光地は数え切れないほどある。
流石に無理があるか。
眉間にしわを寄せて考えている俺の横で、美咲はいつものように微笑していた。

県道沿いの歩道を歩いて、駅に向かう。
車が風を巻き上げながら通り過ぎていく。
青い車、赤い車、トラックに、乗用車、軽自動車とジャンルが広い。
ん？
そんなのを横目で見ながらふと、視界内に違和感を覚えた。
「あれ？」
美咲も何かに気がついたようだ。
ハッ、ととおり過ぎ去った車の方を振り向く。
多数ある車の中に、青色のミニバンがあった。
「なあなあ、美咲。あれどっかで見たことあると思わないか？」
信号に引っかかっている、青いミニバンを指差す。
あのナンバーどっかで見たような気がするんだよなぁ。
「英君もそう思う？」
「ああ。」
どこで見たっけか。
頭をひねって考える。
･･････学校の駐車場で見たような･･･
「あ、憐先生のだよありゃ。」
「たしかに、学校に停まってるよね。何か買い物にきたのかな？」
･･･
ズボンのポケットから、携帯電話を取り出す。
「？」
美咲は訳がわからない様子だ。
そんな美咲はさておき、携帯電話の電話帳の中から、ある名前を探して通話ボタンを押す。
「ねえ、どこに電･･･」
シッ、と美咲の言葉をふさぐ。
ツツツツツという接続音の後に、コール音がなる。
プルルルル、プルルルル･･･
5回ほどコールがなったところで、相手が出た。
『もしもし？』
「お、健也か。」
『英か、どうした急に？』
「いやいや、ちょっと確認したいことがあってな。ちと電話したところなんだよ。」
『うんうん。』
「お前、いまどこにいる？」
『え～･････自宅だよ自宅。』
なんだ、その間は。
「本当か？」
『そうだけど。』
「･･･」
『･･･』
沈黙の間に、ゴーというローノイズが入る。
車が走行中に室内で聞こえる現象の一つだ。
「･･･」
『･･･』
おまけに、カッチカッチとウィンカーの音が入っている。
誤魔化しようの無い証拠である。
「お前、いま県庁所在地にいるだろ。」
『ま、ま、まさか。』
呂律が回ってないぞ、健也君。
「車の助手席乗ってるだろ。で、運転席には愛しの人。」
『･･･』
「･･･」
『･･･』
沈黙の間中、向こう側の様子をうかがう。
「合ってるな？」
『･･･』
沈黙は何よりの肯定である。
と、この場合は取ることが出来る。
「いいではないか、お主。はっはっは。いまさら否定しようったって、そうはいかないぞ。
まあ、詳細は明日聞くのでよろしく。じゃあ明日会おうではないか。」
俺はそれだけ言うと、ポチとボタンを押して、通話を切った。
「誰に電話？」
美咲は会話を聞き取れていなかったのか、不思議そうな顔で聞いてきた。
「ん～･･･」
顎をさすりながら、
反対側の手でするするとポケットに携帯電話をしまう。
「健也にだ。さっき、憐先生の車見たとき、助手席に誰かいるな、と思ってよ、
どっかで見たような顔だったから、確認したら案の定よ。」
「健也君？」
「その通り。」
「うまくいってるんだ。」
「らしいな。」
健也のやつ、けっこう侮れない。
こりゃ、俺の予感的中するかもしれんぞ。

まだ、街で何かをしてもよかったんだけれど、
時間をはずすさないと、混んで大変だ、と言う美咲の話を聞いて、
素直に電車に乗り、自分の家に帰ってきた。
帰り道、美咲といろいろ話していたので、時間があっという間に感じた。
気がつくと駅、気がつくと家、みたいな感じだ。
ああ、楽しかったな、疲れたな。
そう思いながら、昨日干してふかふかになった布団に倒れこんだ。
「美咲～、疲れたぞ･･･」

初版完成日
2004/03/19 16:28

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