2011年5月16日 月曜日

燃費

訳あって、またまた車がクラスチェンジ。
2回りほどでかい03式アテンザスポーツ23S号のに変わりました。


帰省時の燃費は、
一関-敦賀間 785km 48.00l 16.35km/l
敦賀-徳島 445km 32.9l 13.53km/l

一関から敦賀間では、いつもどおりの燃費を記録。
が、敦賀からは、疲労もあってアクセルワークに繊細さが欠け、がっくりと燃費が低下。
とはいえ、ハイオク仕様のアテンザMZR2300エンジンに燃費が低下するというレギュラーガソリンを使用したにもかかわらず、
16.35km/lの燃費。
アクセルワークに気をつければ、高速では差が出ないことが分かりました。
アベレージで見ると、15.20km/lとなり、概ね1割の燃費悪化と取れなくも無いですが。

貴重品



部屋に取っておいたものを撮影。
どちらも酔仙酒造の品です。
市場にまた、酔仙の商品が出回りだしたら、高いのでも買って、職場の先輩やら友達と飲みたいものです。

2011年5月6日 金曜日

2ヶ月

3月11日から、もうすぐ2ヶ月です。
地元に戻り、その惨状を目の当たりにしました。
「こんなところまで来ないだろう、と思った」
と、被災者の方の言葉が新聞などに載ることがあったと思います。
傍から考えれば、
「そんなのは甘い。逃げなければ」
と思うでしょうが、
昔、そこに住んでいた私としてみれば、
「こんなところまで来るとは思わない」
当時、地元にいたら、生きていたかも危うい。
両親はよく生き延びてくれた、と思います。


被災地は、まだ大量に建物の残骸が残されていました。
交差点には信号機も無く、目印になっていた建物も無く、
一体、何があったのか、分からない場所も多かったです。
しかし、それでも、新しい電柱は立ち、仮設住宅の建設ははじまり、
電池や食料品なども店で買えるようになり、被災地は、着実に復興への道を歩んでいると、たしかに感じました。

爪痕

画像が大きく、見辛いかもしれません。




(大船渡駅。北側(盛駅側)を見る)






(大船渡 県道230号。地ノ森地区から南を見る)




(赤崎町行形地区 漁村センターがある赤碕公園より、北北東を見る)



(赤崎町行形地区より、北東を見る。大きな船が横倒しで建物に突き刺さっていた。)



(旧大船渡県立病院付近より、東、工業団地を見る)



(大船渡駅より、南南東を見る)



(大船渡駅。基礎とトイレしか残っていなかった。)



(3階まで浸水した、マイヤ本店。正面外壁の1階部分には、チリ津波の際の水位表(5.3m)が貼ってある。)



(大船渡町野々田地区。北北東を見る。道路が陥没している。左に見える白い建物はマイヤ本店の駐車場)



(大船渡町欠ノ下向地区より、西南西を見る。茶色い建物は商工会議所。左の白い建物は大船渡食品の建物。
 この周辺では、あたりには魚が散らばっていた))



親が言うとおり、
「子供の頃にみた光景は無くなっていました」
いつも変わらず、そこにあるはずのものが無くなっていました。
街並みは、今では頭の中にあるだけです。
二度と見れなくなるとは、思ってもいませんでした。


あのときと同じ光景を再び見ることは出来ませんが、
いつか、この町が、そして被災地が復興し、またあの時のように羽ばたけることを信じて祈りたいと思います。

流される風 TOP  日記帳  Novel  短編  放浪記  BBS  頂き物  案内


ご意見、ご感想、リンク切れ、などがありましたら、BBS又はメールにて、ご連絡ください。

当ページの画像及び文章を使用、転用する時は連絡をお願いします。
(C)あさなぎ