2011年3月31日 木曜日

はるのあしおと

春がやってきました。
事務所の桜はほぼ満開です。

心は"春"といった感じではなく、季節が通り越していった感じがします。
が、いつまでも塞ぎ込んでいる訳にはいきません。
震災に合わず、無事だったからこそできることもあるはずです。

被災地の復興に直接関わりたい、特に自分が得意な分野でお手伝いできれば・・・
と思う今日この頃

電気復旧

夜、実家のほうから連絡がありました。
被災から20日。実家への電気の供給がようやく電気が回復したとのこと。
まだ水道と電話はまだ、のようですが。

母親からの電話だったのですが、
「あんたにも、育った街の今を見て欲しい」
と言われました。

私はまだ、テレビでしか地元を見られていません。
地元で働くひげ漁師氏も、「実際見るのとは違う」と言っていました。
記憶は風化するもの。
体験していなければなおさらです。
しかし、この体験は誰かが引き継いでいかなければなりません。
それが多ければ多いほどいい。
あと1世代数えたとき、震災の忌まわしさが風化してしまうのは間違いありませんが、
私は私の子どもが産まれ、大きくなったとき、テレビで見た光景、両親の話、なくなってしまった自分の街のことを
話していきたいと思います。

2011年3月30日 水曜日

3.11

その日、私の故郷が津波に襲われました。
一時、連絡がつかなくなり、
冗談ではなく、
「親は死んだのではないか」
と思いました。


幸いにも、無事だという連絡が入り、頭痛に苛まれた数日間をなんとか脱する事ができましたが、
それでも街は壊滅。
あの日から20日たった今でさえ、
市の水道は全域で断水。おそらく下水も。
電気は一部復旧。
固定電話も市の全域で断線。基地局が機能ダウン。
といった状況です。

今後、また街が同じ場所に作られるのか、
それとも高台に移って街ができるのか、よく分かりません。
街が元の元気を取り戻すのにどれだけかかるかも全く分からない。

親から電話で言われました。
「お前が見た景色は、たいてい無くなった」
壊れるのは一瞬。
なくなるのは一瞬。
積み上げたものが消えるのも一瞬。
言葉にできません。

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